■index
・1/19松本充明コンサート
・1/17独立書展
・2/13三銃士(バレエ)
・2009/12/19ベーシックインカム・実現を探る会
■1/19松本充明コンサート
即興音楽の松本さん(今回はチタール)+山岸さん(ドラム)に
コンテンポラリーダンスの上村さん+JOUさんというパフォーマンスに行きました。
たぶん4人のアーティストとしての「力」がほぼ拮抗しているせいでしょう。非常に広がりと奥行きを感じるパフォーマンスでした。だれか一人の力が突出していたら、他は単なる伴奏かおかざりになっていたでしょう。
クラシックの延長線上にある「現代音楽」が刺激的ではあっても不快なものになってしまっているので、「前衛」=「不快」という図式をいつのまにか持ってしまっている自分に気が付きます。
ところが、リズムもメロディーも和音もない、二人の音楽家が即興で作り出すこの音楽、それがなぜか心地いい。しかも宇宙的な空間の広がりや時の流れのゆがみのようなものまで感じてしまう。視覚を体感するダンス表現のような音楽。
こんな世界に身をゆだねていると、理由もなく幸せなのですが、一方で左脳がぶつぶつ言っている。
「今まで蓄えた音楽の知識は一体なんだったんだ! こんな音の集合で心地よくなるはずがないのに!」
でも現実は受け入れなければいけないでしょう。音楽理論の先生方はいったいこれにどんな説明をするのでしょう。
ダンサー2人は、その1秒先もどうなるかわからない音楽と踊っています。それがとても自然で自由で・・・うらやましいほど。もともと二人とも卓越した技量を持っていることは知っていますが、あくまでも人間的、女性的に身体が流れる上村さんと、しなやかなのにどこか無機的で身体の各部位に微小脳を持ち、それが独立して指令を出しているようなJOUさんの対比はそれだけでとても楽しめるものです。しかもそれだけでなく、それぞれが、わけのわからない音楽を見事に視覚化、いや、まるで音楽そのもののように流れ、響きあうダンスでした。
見る音(楽)としてのダンス
聴くダンスのような音(楽)
そうして、相変わらず、説明不能のここちよさ
そんな時間だったと思います。
それはともかく松本+JOUというカップル、私が出会って2年くらい経つのでしょうか。
この二人のありかたもとても魅力的です。お互いがお互いを常に思いやっているのですが、それがサラサラとしていて、とても自然でべとつかない。粘性がないのにとんがって頑張ってもいない。前衛的なのに心地よい松本氏の音楽そのままなのかもしれませんが。
上村なおか+JOU+松本充明+山岸直人、Quartet
上村なおか (dance) http://www.naoka.jp/
JOU (dance) http://odorujou.net/
松本充明(sound performance)
http://artist-consul.visithp.com/artist/matsumoto/
山岸直人 (drums & percussion)
http://www.myspace.com/yamagishinaoto
■1/17独立書展
私は20年前、津川晨という書道の評論家で美術評論家でもある方のところに通いで弟子入りしていたことがあります。あまりに出来が悪く首になりましたが。その津川先生が亡くなったのを偶然知り、それがきっかけで、新年の独立書展、最近毎年行っています。知っている若者もいて、彼女たちが今度はいったいどんな表現を見せるのかも楽しみです。力がある人ほど、毎回全然違う作風を見せてくれるような気がします。
もちろん役員クラスの先生方になるとスケールも迫力も美しさもレベルが違うのですが・・・
今回、亡くなられて久しい山崎大砲という書家の回顧展を書道展内でやっていました。私は津川先生の部屋にいらした山崎先生にお茶を出した記憶があります。
その山崎先生の回顧展。その一画に入っただけで、もう今までと違う世界にいることを感じました。これは私が今まで見たすべての美術作品の中でも最高の部類に入る作品群だと思いました。書道、書道展という中にあって美術評論家の目に触れることが少ないのでしょうか。
圧倒的な迫力と繊細さとがみごとに両立して今なお強烈な力を放ち続けていました。凄い。
失礼とは思いますが、他のどの先生方の作品も遠く及ばないartisticな力をみなぎらせている作品群でした。本とうに凄かった。
そう思って眺めていると、まるで007(ジェームス・ボンド)に出てくる「M」そっくりの年配の女性が近寄って来て、声をかけられました。「これが津川先生が大好きだった山崎大砲の書です。私は他の所には行きたくなくて、ずっとここにいるんですよ。」以前お話したこともある、ある先生なんですが、たぶんこれは本音でしょう。(それにしても何て「M」そっくりなんだろう。一瞬自分が007になったような錯覚に陥ります。)
いつも言っていますが、日本の書道界は世界で最も層の厚い抽象画集団だと思います。
ああ、それと誰か読んで欲しいのですが、書道パンフレットをモノクロ写真で作るのはやめましょう。
カラーで作ると全然違うものが出来るといつも思ってしまいます。
もちろんそれでも本物には及ぶはずもありませんが、この場合、モノクロ写真は単なる証拠写真にしかならない。
http://www.dokuritsu.or.jp/tenrankai/tenrankai.htm
■2/13三銃士(バレエ)
久しぶりにバレエを観にいきました。「三銃士」。音楽は忘れられたヴェルディの作品のつぎはぎ、という現代バレエですが、すばらしいエンタテイメントに仕上がっていました。
一見古典的なバレエに見えるのですが、まずあくまで男性が主人公であること。すごいぞ男性群舞!
そして、王様(ルイ13世)も踊る、王妃(アンヌ)も踊る。(踊らないのはリシリュー枢機卿だけ!)おまけにバレエの決まりごとマイムを飛びぬけて舞台上で本当にキスしてしまう。バレエをあまり知らない人にはこの凄さ(笑)が判らないかもしれませんが、今書いたこと古典バレエでは絶対にないことなのです。音楽はヴェルディで、華やかで躍動感にあふれたもの。確かに終わると忘れてしまうような曲ばかりでしたが、物語の盛り上げ役としては最高。振り付けもすごくわかり易く、退屈な舞踏会シーンもなく、普通とは逆に盛り立て役、脇役の女性陣のバレエもすばらしく、最初から最後まで明るく、心から楽しめるエンタテイメントバレエでした。
初心者も絶対退屈しない、それでいてバレエ本来の楽しみも満載の「三銃士」。今度上演があるときはぜひ皆さんも観にいってみてください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E9%8A%83%E5%A3%AB_(%E3%83%90%E3%83%AC%E3%82%A8)
=wiki 三銃士(バレエ)
http://www.ambt.jp/three/
■2009/12/19ベーシックインカム・実現を探る会
もう去年のことになってしまいましたが、ベーシックインカムのセミナーに出席しました。生きる権利としての最低限の収入を保証しようというメーシックインカム。
理想主義者の夢物語かと思っていましたが、意外と現実的な数字が出てきていました。強力な指導者が
その気になれば実現できるところまで来ていると思います。特区か何かでやってみてもいいかもしれない。そうして、ベーシックインカムそのものは実施されていなくても、「的」な発想による政策が世界中で徐々に広がっていることも確かです。たとえば民主党の「子ども手当て」。所得制限を設けるか設けないかでもめていましたが、実はこのちょっとした違いは根っこが大きく違うかなり根源的な問題であることがわかります。
ベーシックインカムはすべての人に生きる権利として8万円/月程度「基本給」を支給する。その代わり、失業保険や様々な生活弱者向けの手当てをやめるというもので、一元化することで事務費用(主に膨大な人件費ですが)を圧縮、さらに各種手当ての実費がなくなるので、それだけでもかなりの財源を確保できることになります。そこから先の不足分を補う方法はいろいろあって、地域通貨とか、消費税とか、考え方はまだ議論の余地はありそうです。
一つの政策パッケージとして充分現在の福祉政策と張り合える実力をつけて来ていると思うようになりました。
ここから先は私の意見です。二つのことを考えました。
まず、起業家、artist、開拓牧師といった、現状非常に苦しい状況で自立を目指している人たちにとってこれはすばらしいシステムになると思いました。たぶんこれはベーシックインカムを唱えている人たちが思い至っていないことのように思います。
チャレンジ(挑戦)することが出来る。失敗してもとりあえず生活できて、また再挑戦できる。これが自由で自立した社会の理想だと思うのですが、ベーシックインカムはその基盤になりえます。
もう一つの感想は、はっきりとした懸念です。
上記のような目標のある人にとってこれは最高のシステムになりえるのですが、目標を持たない単なる生活者にとって、これはうまく機能しないような気がします。
【不安な事例1】私は生活保護者が多く集まっているある地区を見学したことがあります。そこでは大変立派なNPOの取り組みがありましたが、一方で見張りまでつけて賭博が行なわれていました。生活保護のわずかなお金をそうやって賭博に使う、また賭博で巻き上げる人たちがいる。そんな実態。
【不安な事例2】もう一つは、ゆとり教育の「成果」。ゆとり教育は、詰め込みの反省に立ち、若者に時間という「ベーシックインカム」を戻し、そこで暗記ではなく、本当の意味で自分で考える力を身につけてもらおうという教育施策だったはずです。しかし、多くの若者は戻された時間を怠惰に過ごすことにしか使わなかった。その結果、ゆとり教育世代を迎えた社会は重いつけを払わされつつあります。
自分で考える力のある人は、詰め込み教育時代でも自分で時間を作り考えていたのです。「時間がない」というのは言い訳でしかなかったことが実証されてしまいました。
この2つの事例から、ベーシックインカムは思ってもいない弊害を社会にもたらすかもしれないという不安はあります。
このような社会改革の多くは勤勉で自立した人間が知恵を絞って考えるのですが、世の5割、いや8割は、勤勉でもなく、自立もしていないので、彼らの常識によるアイディアは社会システムとしては破綻してしまう可能性が高い。
どうすればいいのでしょうか。
http://bijp.net/
http://ja.wikipedia.org/wiki/ (省略)
=wiki ベーシックインカム
http://blog.goo.ne.jp/yamazaki_hajime/e/df9729ff82024e97dd3447d08d9c5f27
http://ameblo.jp/takapon-jp/entry-10178349619.html
2010年2月
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