出版、デザイン、美術評論、書道評論など幅広い分野で核心的な仕事をされていた津川晨先生が2005年亡くなられました。大変急な最期であったとうかがっています。 先生の妥協を許さず、仕事の上でプライベートな会話をほとんどしない厳格な性格もあり、津川先生の思いや考えの全体像は記録に残されることなく、その断片がかかわったひとりひとりの心に留まり、そのまま忘れ去られようとしています。なんとかその欠片だけでも拾い集めたい。そういう思いでページを創りました。
どうか先生をご存知の方は書き込みをお願いします。

 私は1987から1989まで先生のお宅で修行し、いろいろな事を教わっていました。私の結婚式では乾杯の挨拶もお願いしました。もう20年も前のことになります。はっきり申しまして、あまりの出来の悪さに首になったといっていいでしょう。 このようなことをするのに相応しい方はきっと他にいらっしゃるとは思いますが、その方にバトンを渡す間だけでもできるだけのことはしたいと考えています。
ご協力をお願いします。

2006.9 artist consultants 代表 池畑浩三朗
*津川先生が亡くなられたことは書家の緋桜吏良氏、またその恩師であられる大石千世先生からうかがいました。どうもありがとうございました。


 
 
 プロフィール
 この内容は先生のところで仕事の合間にした会話をもとに作成しています。
記録者の無知もあり、誤解や間違いを含んできる可能性もあります。
ご存知の方はどうかご指摘ください。
  
 ■ 津川晨 つがわしん
 北海道生まれ
北海道大学卒業
小学校の教諭を務める
東京に上京
邱 永漢(きゅう えいかん、Qiu Yonghan、1924年3月28日 - )氏に師事
今 東光(こん とうこう、1898年3月26日 - 1977年9月19日)氏に師事
東京出版販売創業者の秘書(的役割)を勤める
「一枚の絵」編集長
「話の特集」編集にかかわる
ユリイカ(?)の詩のコンクールで最優秀賞受賞
IBM広告コンクールで最優秀賞受賞(以来記念品の指輪をいつも身につけていた)
書道を中心にした美術全般の評論家として活動
特に後半生は若く将来性のある画家や書家を個人的にアドバイスしていた。
結婚し二児を授かったがその後離婚。
 
 
邱 永漢(きゅう えいかん、Qiu Yonghan、1924年3月28日 - )は、台日混血の作家・実業家・経済評論家・経営コンサルタント。本名は邱炳南。初期の筆名は丘青台。株の名人で「金儲けの神様」と呼ばれる。1924年3月、私生児として台湾台南市に生まれる。10人兄弟の長男。父邱清海は台湾人実業家。母堤八重は久留米生まれの日本人。 
今 東光(こん とうこう、1898年3月26日 - 1977年9月19日)は、天台宗僧侶(法名 今 春聴)・作家・画家・参議院議員。作家・評論家で文化庁長官を務めた今日出海は弟。横浜で生まれ小樽・函館と転々とした後、9歳より大阪で育つ。関西学院中学部から兵庫県立豊岡中学校に転校するも素行が悪いとして退学させられる。 その後上京し、画家をめざしたが小説に進み(ただし絵はその後も続けている)、川端康成らの第6次「新思潮」の発刊に同人として参加。さらに「文芸春秋」にも参加するが、一時は彼を評価していた菊池寛と互いに激しく対立したことなどから昭和初期に文壇を去る。 
話の特集(はなしのとくしゅう)は、1965年から1995年まで発行された雑誌。ミニコミ誌の草分け的存在である。創刊から休刊まで矢崎泰久が編集長を務めた。

ユリイカ(?)の詩のコンクールで最優秀賞受賞
IBM広告コンクールで最優秀賞受賞(以来記念品の指輪をいつも身につけていた)
 
   
 
 
 
 
 
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