--- 雨後 ---
Artist Kumiko Komuro
画家 小室久美子
Profile
1945年
茨城県水戸市に生まれる。
1967年
女子美術大学芸術学部洋画科
(現・油絵科)卒業。
1967年
重要文化財等の複製品制作会社
「東芸」入社。
1969年
婦人服製作会社「一珠」入社。
商品研究室勤務。
1970年
東京都中野「魔笛」にて個展。
1970年 結婚後は家庭に入ると同時に、千葉県市川市にて子供のための絵画教室を開く。
1973年 長女の誕生。その後、主婦業に専念しながら絵の制作を続ける。
1991年 中国魯迅美術大学講師・徐躍進先生門下生となる。
1992年 第1回徐躍進門下生展(千葉市文化センター市民サロン)に出展。
1994年 第2回徐躍進門下生展に出展。
1996年 第3回徐躍進門下生展に出展。
1998年 第4回徐躍進門下生展に出展。
2000年 第5回徐躍進門下生展に出展。その他、地域の市民の文化祭など出展。
この青垣こもれる、美しい四季ある日本に生を得て、私は、来春、還暦を迎える齡となりました。
多くの女性のように、私も結婚して家庭に入り、主婦業に専念いたす生活が主になりました。幾多の山河を越えながらの永い年月のなか、しかし、画家としての魂を捨て去ることはありませんでした。
苦しみつつ絵筆を断ったこともございましたが、若い日々、ご指導くださった多くの先生方の、絵に向かう真剣な眼差しを忘れることはありませんでした。
--- 夕顔 ---
--- 狭霧 ---
二十代から三十代にかけては、油彩、パステル、水彩等の画材で、女性の内面に根差した生とエロスを主題として、幻想味の強い絵を制作いたしました。ルネッサンス絵画や超現実主義未来派等のヨーロッパ絵画、アメリカンポップアートに大いに触発され、技法としても多くの事を学びました。
三十八歳のとき、病気休筆。手術後の経過が思わしくないまま、いつの間にか油絵の世界から遠ざかっておりました。
転機は平成元年にやって来ました。東京国立博物館にて、数多くの室町期の障壁画を観たときのことでした。
それまで西洋に向けられていた私の眼は、一気に、日本の大和絵や東洋の繊細な草花を交えた装飾的な絵画へと向けられました。
平面的に並べて描かれた文物文様や、それとは逆に、水墨の水をたっぷりと含んで描かれる幽玄の世界。調度品や部屋の仕切りとしての工芸的な作品のなかに見る、安らぎの世界。
これらを見ることから草木花への憧憬は深まり、実際の私の周囲の自然に融合していく行動となるまで、そう時間はかかりませんでした。私は日本の古来からの美術品を観ることで、なんとこの生まれ育った日本でカルチャーショックを体験したのです。
--- 残花 ---
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白芍薬 ---
以後、私の絵のテーマは揺らぐことなく、自然と相呼応しつつ生きる人間を、四季折々の草花を通して描くことになりました。
画材として牡丹を描くことが多いのは、この花がただの花と思えず、むしろ一人一人の女人のような、生の輝きと死の無残さを合わせ持って、人の世のすべての事柄を切々と語りかけてくる存在のように思えるからです。
限りある生命を持って生きるものに眼を向けて、死をいたみ、再生を願う絵を描けたら、これこそ本望と思います。
オープン・ユア・アイズ
黒い手袋の女
月を待つ女
イリュージョン
*
紹 介 絵 画 *
「黒い手袋の女」
60cm×45・5cm
1969年
水彩+パステル
「月を待つ女」
60×45・5cm
1971年
水彩+パステル
「イリュージュン」
45・5cm×60cm
1971年
水彩+パステル
「シャット・ユア・アイズ」
60×45・5cm
1971年
水彩+パステル
「オープン・ユア・アイズ」
59cm×44cm
1972年
水彩+パステル
「白芍薬」
48cm×40cm
1996年
墨彩・絹布
「夕顔」
41cm×58・5cm
1998年
墨彩・絹布
「雨後の牡丹」
46・5cm×59・5cm
2000年
墨彩・絹布
「狭霧」
83・5cm×59cm
2000年
墨彩・絹布
「残花(当麻寺千寺院牡丹)」
95cm×61・5cm
2003年
墨彩・絹布
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