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[2009.12]
「2009年12月号をお届けします」

■博士の愛した数式

うわさには聞いていましたが、小川洋子「博士の愛した数式」とうとう読んでしまいました。
どんな人の褒め言葉よりも実際の小説はすばらしい内容でした。
ということは、私がどんなに言葉を尽くしてもその魅力を伝えきれないということでもあります。
まだの方はぜひ手にとって読んでみてください。

ひとつ気が付いたことがあります。それは小川さんが私とほとんど同じ歳だということです。
そういえば、「だれも知らない」の是枝裕和監督も私と同じ歳です。
人には逃れられないものがあって、それは両親とか家族とか生まれた場所とか・・・ああ、ドイツ語で何とかいうんですよね。そうそう、ゲマインシャフト(独:Gemeinschaft)てんだ。でももう一つ逃れられないものがあって、それは時代。生まれたとき育ったときの空気(=価値観や理想)を私たちは吸って生きてきたので、どうしてもそれからは逃れられない。 そうして、私たちが生み出す作品にはどうしてもその時代の空気、作品が生まれた時代の空気と同じくらい濃厚にその作者(artist)が生まれ育った時代の空気が反映されます。それが小川さんや是枝さんレベルの鋭敏な感覚の人ならなおさらでしょう。

その2人に共通のもの、そうして私の中にも流れている共通のものを感じ、でもそれってなんだろうとしばらく考え込んでしまいました。
結局、生まれてから死ぬまでどこにでもいるような社会的には無名の、平凡で普通の人間の持っている、良心や良識や生き様、そういったもののすばらしさ、すごさを信じようとする態度のような気がします。(現実は冷酷で、裏切られることばかりなのですが、それでも・・・・)

引用の引用で申し訳ないですが、バーナード・ショーに「ジョンブルの他の島」という戯曲があるそうです。(ちなみにショーは英フェビアン協会のメンバーで、1856年生まれ、私より4−5三世代くらい上かな。フェビアン協会は英労働党の母体でもあります。)
その、神秘主義者の僧侶が夢見た天国についての部分です。

「私の夢では」とキーガン神父は言っています、「それは、そこでは国家が教会で、教会が人民であるような国である。一のうち三、三のうちに一である。
それは、そこでは仕事が遊びで遊びが人生であるような共和国である。一のうちに三、三のうちに一。それは、そこでは僧侶が信徒で信徒が神であるような神殿である。一のうちに三、三のうちに一。・・・・それは、そこではすべての人生が人間的で、すべての人間性が神的であるような神性である。一のうちに三、三のうちに一。それは、要するに狂人の夢なのである。」

*種を明かすと、これはJ.M.トムソンというイギリスの歴史家が書いた「ロベスピエールとフランス革命」(岩波新書)という本からの再引用です。
私の中学時代からの愛読書で間違いなく名著です。

■日経を読もう

自宅で日経をとっています。日経をちゃんと読んでいる人と違い、株価の数値にはほとんど目を通すことはありません。文化欄とスポーツ欄が私の趣味にあっていて、愛読しています。(笑)
特にスポーツ欄は、日経に馴染むともう他の一般紙は読めないくらいです。
それに、これは他紙も同じかもしれませんが、夕刊がおもしろいです。でも他にも理由があります。

日経は高い(expensive)です。ちょっと大変。そういえば読売とってると巨人軍の試合のチケット貰えるよなと思って、あるとき、集金のお兄さんに「何か貰えないんですか」と尋ねたら、美術館の招待券を2枚くれました。
それから、もう3年以上経っているかもしれません。それ以来、毎月日経が主催、協賛するいろんな展覧会のチケットをもらい、通っています。息子と2人暮らしのときは、息子を連れて六本木も上野も渋谷も赤坂も日本橋も信濃町も何度も行きました。
自分の好きな分野や人、あるいは知人の展覧会以外のに限らない絵の本物を、今まであまり観にいく機会がなかったことに気が付きました。しかも、マイナーな展覧会もあり、じっくり鑑賞できる機会も今まで少なかったことに気が付きました。子供のためにも自分のためにも夫婦のためにもいい機会を提供してもらっていると思っています。

というわけで、皆さん日経をとりましょう。でも代金の銀行振り込みはやめて、集金に来てもらいましょうね。


■野党・自民党に望んだこと・・・⇒野党・自民党に失望したこと

あらゆる判断にはプラスとマイナスがあり、あらゆる選択には選び取るものと切り捨てられるものがあります。政治の世界では判断、選択とは政策、法律です。
あの、現在でも進歩的と言われるワイマール憲法でさえ、ナチの独裁を合法的に産む土壌となったことを知る我々にとって致命的な欠陥を持っていたといわざるを得ません。ましてや・・・

8月末の総選挙で民主党が政権をとり、彼らなりに最善の判断をし、選択をしていこうとしていると思います。しかし、全くマイナス面のない判断はありえず、すべての人にメリットのある選択もありえません。
ならば、私たちは何を犠牲にし、誰を切り捨てようとしているのか、はっきりと知った上で、その判断や選択を受け入れるか否かを決めなかればなりません。そのマイナス面、切り捨てられる人々を明確にさせ、「それでもいいのですか」と国民に問うのが野党の役目だと思います。
その積み重ねの結果としての次の総選挙があるのだと思います。

民主党が犠牲にしようとしているマイナス面、民主党が切り捨てようとしている人々を明確にし、自民党は自らの政策によって生じるマイナスと切り捨てる人々と比較し、比較させ、その判断を国民に委ねなけれななりません。万年野党だった旧社会党やその他の今までの野党にはそれが出来る経験を持っていなかったかもしれない、しかし、今まで政権にいた自民党はそれが出来るはずだと私は思っていました。

しかしながら野党・自民党はまるで旧社会党のように審議を拒否し、国会で議論することそのものを回避してしまいました。与党を換えればまともになると思っていた国会の非効率と無意味さは、昔と変わらない結果になりました。結局与党を換えるだけでは、問題は解決しなかった。
与党もまともに運営できなくなってしまっていた自民党は、野党を運営する能力も持っていないことがはっきりしました。われわれは野党も変えなければいけない。

私たちは自民党を潰し、よりまともな野党を創らなければいけません。民主党を正攻法で、国会の議論の中で苦しめることができる野党を創らなければいけなくなったことを実感しています。
そうしなければ政権交代の意味がなくなってしまう。

私たちは自民党を潰す必要性をまだ失っていません。

2009年12月

 
   
 
[2008.8]
「2008年8月号をお届けします」

ネットの世界は連想ゲームの連続です。
35年間耳について離れない「遠い海の記憶」(番組名は「つぶやき岩の秘密」(1973))をYOU TUBEで捜して涙を流し、そのまま「少年ドラマシリーズ」をamazonで渡り歩いていました。タイムトラベラー、夕ばえ作戦、暁はただ銀色・・・原作も覚えるほど読んだ世界。 「七瀬ふたたび」(1979)にたどり着いたとき、Artist Consultantsの原点のひとつに戻ったような気がしました。私はこのドラマの最終回のある場面、恒夫という予知能力者が殺される場面を今でも覚えています。

「人の心を読む能力を持つ孤独な女性超能力者をヒロインとし、異能な人間への人種差別の愚行と異端者の孤独をSF活劇で描いた筒井康隆原作のドラマ化」と解説にあります。
あるいは「人の心の醜い裏側なんて見たくないのに・・・  他人の心が読めるテレパスであるがゆえの孤独と受難に耐える七瀬は、数少ない仲間とともに自分たち超能力者の理想郷を探し求めて北海道にたどりつく」とも。

Artistと私が定義した人々、そういう「異能な人間への人種差別の愚行と異端者の孤独」をArtist Consultantsは動機にしています。そういう人々が安心して生きていける「理想郷」こそ、Artist Consultantsがめざしたものだったのです。

彼らの生活を支えつつ、無知と無理解の中で生きる彼らの理解者であること。そうして彼らの最低限の人権を断固として守ること。それがArtist Consultantsを名乗る私の使命だと思っています。七瀬が現実に私の近くにいたら、私は間違いなく彼女を仲間にしていたでしょう。

けれども、そんな当たり前のことが、とても難しい。いま本当にそう思います。


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遠い海の記憶  歌:石川セリ

いつか思い出すだろう おとなになった時に
あの輝く青い海と 通り過ぎた冷たい風を
君を育くみ見つめてくれた 悲しみに似た風景
追憶の片隅で そっと溶けてしまうのだろう
今だ 見つめておけ 君のふるさとを
その美しさの中の本当の姿を
いつか大人になって 君はふと気づくだろう
あの輝く青い海が 教えてくれたものは何だったのだろうと
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「つぶやき岩の秘密」をDVDで35年ぶりに見ました。私はこの曲を6回しか聴いたことがなかったことを知りました。ドラマのストーリーは断片的にしか覚えていなかったのですが、この曲が頭に浮かぶたびに包まれる悲しい気持ち、心臓を冷たい手で密かに掴まれるような苦しさはドラマの記憶だったことがわかりました。


2008年8月

 
   
 
[2008.6]
「2008年6月号をお届けします」

時の流れは速く、もう今年前半の最後の月を迎えました。世の中には深刻な社会問題が山積しています。だからといってartやartistの存在意義は薄れているのかというと、そうではないでしょう。
私はartはもう少し根源的なもの、生きるのに不可欠なもの、だと思っています。
《癒し》が全盛のこのごろ、癒されなけでばartではないような風潮もありますが、それにも違和感を覚えます。新しいものへの挑戦そのものがartの本質でもあるからです。独創的でなければartではありません。
■Music And Dance Performance■ 
三浦浩(guitars)、松本充明(live-electronics)、JOU(dance) − 3人のArtistによる即興時空 − 
が6/21(土)18:00に開演します。全く違う分野の3人のartistが全力でぶつかり合います。今までだれも体験したことのない時間と空間が切り開かれることになるでしょう。
耳に馴染んだ心地よい音楽もいいですが、その演奏と同じテクニックが全く新しいものに向って使われるとき、私たちは今まで見えなかったも音を見、聴こえなかった姿を聞くことになります。この演奏会は完全な即興によって行なわれます。


□6/21(土) 18:00開演
□新高円寺 スタジオSKホール   link
□2500円  (当日2800円)      link
□三浦浩/guitars、松本充明/live-electronics、JOU/dance    link
□Music And Dance Performance - 3人のArtistによる即興時空 -  link

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2008年6月21日(土)ギター・ライブエレクトロニクス・コンテンポラリーダンスによる完全即興のコンサートを行います。ぜひいらしてください。
◆今回のコンサートはギターの三浦浩、ライブエレクトロンクスの松本充明、コンテンポラリーダンスのJOUという、それぞれの分野で特出すべき活動をしている3人のArtistのはじめてのコラボレーション企画です。しかも完全な即興(フリー・インプロビゼーション)。その場でお互いを感じながら表現を展開していきます。何が生まれるか、何が起こるのか誰にも予想できません。◆三浦は自分の周りに5本以上のギターを並べ立てこの即興コラボレーションに挑戦します。松本はライブエレクトロニクスというコンピュータを駆使した音響表現で、ただし事前のプログラミングを一切行わず、その場でさまざまな音を創り出していきます。後半はJOUも加わり、その天才的な身体表現で演奏を視覚的に立体化していくでしょう。建築家の河内一泰氏もその独特の照明効果で演奏の立体化に協力してくださることになりました。そのArt表現は後に録音でもビデオでも完全に再現できる種類のものではありません。その場に立ち会ったものだけが知る瞬間。ぜひあなたもその証人になってください。◆なおこのコンサートには、ちらし・チケットのデザインで杉浦俊哉氏が、webでは長峰利恵子氏が力を貸してくださっています。さらに、このコンサートは【コンサートオーナー制度(コンサート出資金制度)】というArtist Consultants独自の試みを採用しています。
演奏だけではなく、その運営でも私たちは時代を、未来を創り出そうとしています。その創造の輪を広げ、演奏の共鳴を、会場の人々の、さらにコンサートを取り巻くあらゆる人々の共鳴に広げ、寄り合わせていく仕組みが【コンサートオーナー制度】です。その趣旨をよく理解していただき、ぜひ、コンサートの成功にあなた自身の力をお貸しください。3人のすばらしいArtistのために、そうしてArtそのもののために。

2008年6月

 
   
 
[2007.11]
「2007年11月号をお届けします」

10月の末、恵比寿の空をモンシロチョウが飛んでいました。気がつくとまだ冬服を出していませんでした。温暖化の影響がその程度で済めばいいのですが、もっと恐ろしいことがたぶん見えないところで進んでいるように思います。

私は音楽については20年前からそれなりに知識もあり、良し悪しというと傲慢ですが、少なくとも好き嫌いの基準は持っていてそれを言葉にすることもできました。絵画、美術についてはそういう記憶がありません。
20年前、加賀前田家の血を引く(おばあ様が前田家の令嬢だった・・・らしい)という女性Mとよく美術館に行きました。回を重ねるごとにそれなりに自分の好みがわかって来たような気がしましたが、それでもなんとなくぼんやりした感覚だったように思います。普段は控えめなMは当時音楽については多くを語りませんでしたが(後に20C音楽の愛好家であったことが判明)、絵画については、評価が非常に明快で、しかも時に解説などとはまったく別の見解を示し、「この自信はどこからくるのか」といぶかったほどです。これも先祖の遺伝子のせいかと。

そのような私がいつからかはっきりと変わったように思います。なぜだろう、いつからだろうそう思って時を巻き戻していったことがあります。それで気がつきました。私を変えたのは「お金」だったようです。最初は3歳になった子供へのプレゼントだったかもしれません。

当時住んでいた牛久にある画廊(Takashi Saitoh Gallery http://www.h3.dion.ne.jp/~tsg/)は若い無名のartistの作品を積極的にとりあげていました。当時の私でもそういった個展の展示全体のレベルが非常に高いことは肌で感じることができました。それで息子の誕生日に絵を送ろうと考えたのです。私たち家族は今もそうですが、当時も経済的にはぎりぎりの生活を続けていました。当時その画廊で若手の絵の相場はA4くらいの大きさで3万円程度。絵としては決して高くはありませんが私にとっては非常に大きな出費でした。それから惹かれる作家、惹かれる作品があるたびに私は絵を買っています。私の生活における3万円の価値は今でも変わりません。もしかしたら少し上がっているかもしれません。そのような状況で絵を買うときは、「ほんたうに」真剣にならざるをえません。同じお金を払うならずっと満足できるものを買いたい。少しでも本当の意味でいいものを手に入れたい。そういう気持ちで絵を見つめ1時間も2時間もかけて絵を選びます。その時間が飛躍的に私の絵の鑑賞力を上げたように思います。

お金の力はとても大きい。ふりかえるとそんな感想を持ちます。そういうお金の使い方もあります。

ちなみに息子の3歳のプレゼントは3時間悩んでも決められず、本人を連れていきました。彼は1分だけ悩み、やや抽象的な魚の絵を選びました(丹野香織 http://artist-consul.visithp.com/artist/kaori/)。いい選択だったと思います。

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11月ももう半ば。中沢しのぶ&山本陽光の2人展が14日はじまりました。12月にはシューレ大学の公開イベントがあります。
ぜひいらしてください。

2007年11月

 
   
 
[2007.10]
「2007年10月号をお届けします」

  ミャンマーのデモが鎮圧され、また多くの方が亡くなりました。こういう出来事があると、決してあってはならないことなのに、過去の多くの同様の出来事の上に、そういう出来事で亡くなった人々の上に、私たちの今があることを思い出させられます。

社会改革は(例え話ではなく本当に)命がけであるのが普通だといわなければなりません。なぜなら今の社会から利益を得ている人々を敵にせざるをえないし、そういう人々はその社会ゆえに財力と力と場合によっては知力も持ち合わせているからです。その人たちが本気で自らの利益を支えている社会の崩壊に脅えたとき、恐らく自分と同じ境遇の人々以外は人間には見えないのでしょう。

たとえばつい100年と少し前、秩父事件というものが日本(埼玉県)でもありました。彼らが作成した憲法草案はワイマール以上に先進的であったと言われています(そういうことを鹿児島にいても学校で教えてくれました)。非常に統制のとれた非暴力的な改革運動であったようです。反政府運動ですらなかったといえます。それにもかかわらず時の明治政府は彼らを弾圧し、首謀者は処刑されています。もし社会改革を生命の危険を感じることなく行なえる社会に住んでいるなら、私たちはまずそのことに感謝しなければならないでしょう。

10月27日「日米ソーシャルファイナンス・フォーラム2007」が東京・三田、慶應義塾で開催されます。20世紀、私たちは理念と理想だけでは世の中を変えられないことを学びました。その20世紀の宿題の答えのひとつが「社会起業」であるように私は思います。その答えが本当に正しいか(=有効なのか)、その証明に挑戦するのは21世紀に住む私たちです。社会起業をこんなふうに説明をしたら怒られるでしょうか「社会改革、目の前の困っている人を助ける・・・いいですね。必要ですね。でも、何か具体的に得なことがないと続かない、仲間も増えないよね。もしそれがビジネスになり、増えたお金をまた次のステップに使えるなら、できることがどんどん大きくなる、いいことが膨らんでいく。そうなったらきっと楽しいし、楽しいことは続くし、きっと仲間も増えていく。なら楽しくて、得をするにはどうすればいいかを考えながら、社会のことを考えようよ。」

   ◆10月27日「日米ソーシャルファイナンス・フォーラム2007」東京・三田/慶應義塾◆

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私の父子家庭はもう4ヶ月になろうとしています。

■私の妻は産後2ヶ月で働き始めました。学術振興会からお金をもらって研究をしている最中でした。でもそういう状況は特別ではないでしょう。研究職でなくても個人事業主にのんびり産休をとる時間はありません。体はぼろぼろでした。子供は2ヵ月後から「10時間勤務」で保育園に通いました。
■その息子が1歳半のとき、つくばに5年間の職が見つかりました。妻は躊躇しませんでした。それから5年間の母子家庭生活を彼女は始めました。子供といっしょにくつろぐ時間などとれない生活が続きました。
■その後、約1年間の家族3人の生活がありました。息子が小学校2年の1年間。でもそれは妻が失業していた1年でもありました。そうして、京都に職を得た妻は、今度は単身赴任を選びました。
私の父子家庭はもう4ヶ月になろうとしています。

artist_consultantsという名前で私は活動しています。artistとは何か。たとえば画家、ピアニスト、研究職。それは、才能を持っているかどうかが問題ではないことに気が付きました。artistとしてしか生きることのできない悲しい自分を背負わなければならない人を私は相手にしています。それは世の中の常識を常識として受け入れることができない1%のひとです。一生懸命自分を納得させようとしても、どうしてもできない1%の人です。それでも常識を受け入れると心を壊してしまうしかない1%の人です。

多くの常識やアドバイスは99%の人に正しい言葉です。でも、いつでも、どこでもそうですが、それに当てはまらない1%の人がいます。そうしてあなたが(あるいは、自分が)その1%であるのかもしれない。そのとき、99%の人に当てはまるアドバイスはあなたには当てはまらないことになります。

何か特別な才能がないように自分で思っていても、あなたがそういう1%の人間なら、あなたは間違いなくartistです。artist_consultantsはそういうあなたを受け入れ、まもるために活動しています。

生後2ヶ月から10時間勤務を強いられた息子は、両親を憎んでいるでしょうか。私はそうは思いません。彼は母親がどんなに一生懸命生きてきたか、その背中をじっと見てきました。彼にとって母親は一番の誇りです。そうしてまだ言葉もおぼつかないころから、仕事と子育てで疲れ果てしゃがみこんだ母親(の頭)をやさしく抱き、なぐさめ、励ますのは彼の役割でした。(体が小さいから母親の頭しかかかえられない)

私は料理が苦手です。いえ下手です。その私の料理を彼は一度も不平を言わず、この4ヶ月食べてくれています。(時々どうしても残すことがあります。それが私が失敗したときと強い相関があることを私は知っています。でもそういう時でも彼は不平をいいません。)それはたぶん私が料理本を手に必死で作っているのを見ているからです。

子供は親の背中を見て育ちます。あなたがもし本当にやるべきことを持っているならどんな常識もアドバイスも当てにしない選択肢もあります。

でもひとつだけ常識があてはまるかもしれません。それはたとえいつもいっしょにいなくても親の笑顔がいちばん子供にとって貴重だということです。妻が子供のために仕事をやめていたら、あるいは妻の失業が続いていたら、たとえその引き換えに家族がいっしょに暮らすことができたとしても彼女の心は病むだけで、彼女の本当の笑顔をみることは出来なくなっていたでしょう。すべてがそのための選択だったともいえます。この点だけは私たちは99%の側にいたのかもしれません。

                 *********************************************

10月は芸術の秋でもあります。 かえる展、BookWorms8、Duo、朱香会書道展、いずれも見逃せない企画です。ぜひいらしてください。

2007年10月

 
   
 
[2007.9]
「2007年9月号をお届けします」
 しばらくお休みをとらせていただきました。この間の大変素敵な個展やコンサートがあり、それをみなさまに紹介できなかったことが悔やまれます。イベントの規模やアーティストの年齢や経験に関わらず、思わず息を呑むような作品が宝石のようにその中にはちりばめられています。そのひとつひとつを拾い上げていく努力が必要なのだと思います。
 鈴木比奈子さん(画家)、利根川藍さん(グラス・アーティスト)がメンバーに加わりました。お二方ともそれぞれの世界で充分に力を持っていらっしゃる方々です。追ってそれぞれの方をもっと詳しく紹介する機会を持ちたいと思います。

私はこの1月、東京ソーシャルベンチャーズというクループにパートナーとして加わらせていただきました。その東京ソーシャルベンチャーズはこの9月にソーシャルベンチャー・パートナーズ東京LLC(SVP_Tokyo)として生まれ変わります。法人格を持つ合同会社です。SVPはシアトルに10年前に生まれた社会企業、社会起業家を育成、支援する組織で、国際的に活動を広げています。東京ソーシャルベンチャーズは2年前に東京に創設され、日本の社会起業家を支援しつつ、組織の基礎作りを進めていましたが、昨年(2006年)SVPI(SVPインターナショナル)から正式に承認され、国際的なSVPメンバーの一員として活動を発展させることになりました。

私はartistを支援する活動を続けていますが、artistがかかえる様々な問題と、社会的な弱者といわれる人たちがかかえるさまざまな問題が非常に似ていることを常々感じていました。昔ある恩師が「詩人は原発の山羊、炭鉱のカナリア」といっていたのを思い出します。artistは社会の矛盾やゆがみをだれよりも敏感に感じ取り、時にその犠牲になることを強いられた人々なのかもしれません。artに耳を傾けること、その深みを覗くことは、私たちの社会そのものを知ることになるでしょう。それはまた、artを名前や経歴ではなく自らの耳と目と心で感じ取る力を持つことが、そのまま社会を正しい方向へ向ける力になることを物語っています。美しいものをそのまま受け入れることができる力は、そのまま慣習や過去のしがらみにとらわれす、何が正しいのかを考える力でもあるからです。

もし私のメッセージをお読みの方で、SVP_Tokyoに興味をお持ちの方はぜひartist_consultantsまでご連絡ください。

2007.9

□鈴木比奈子さん http://www.geocities.jp/hinakichi2007/
□利根川藍さん http://www.ga-bloom.com/
□ソーシャルベンチャー・パートナーズ東京LLC
     top http://www.sv-tokyo.org/index.html
     blog(登記報告) http://svt.seesaa.net/article/53537148.html#more
     SVPI http://www.svpinternational.org/

 
   
 
[2007.01]
「2007年1月号をお届けします」

 イベント情報2007年1月号をお届けします。このページでは3ヶ月(1−3月)のArtist Consultantsが共感しているArtistの活動予定を掲載しています。

                        ***
あけましておめでとうございます。

2007年が始まりました。国内の政治、経済、また国際政治においてもひとつの分岐点になる年になりそうな気配です。あらゆる意味で神経を研ぎ澄ませ変化と歴史に向き合っていく必要があります。
aritstのページに新たに書家の吉永益美さんが加わりました。若く優秀な才人だと思います。今後の活躍に期待します。

                           ◇ ◇ ◇

◆3冊の本の紹介

最近このサイトのartistのメンバーでもある深谷緑氏に薦められて2冊の進化生物学に関する本を読んでいます。それらともう一冊アメリカの社会について考察した1冊を加えた3冊は、生物としての人間、社会を営む人間を理解するうえでおそらく最も普遍的で示唆にとんだものであると思われます。3冊とも斜め読み、飛ばし読みができる類の本ではありませんが、著者はいずれも知的なユーモアのセンスに恵まれており、読むほどに目が冴えてしまうような魅力を持っています。またそれぞれにその分野のトッププラスの研究者の書籍であり、その思考に沿って読み進むだけでもとても刺激的です。

「知ること」「理解すること」「気が付くこと」の延長線上にはさまざまな副産物があります。起業家には新しいビジネスが見えてくるかもしれませんし、(社会)活動家には自分の方向性を確認、修正するチャンスを与えるでしょう。文系、理系を問わず、アカデミックな仕事に携わっている人には今までの自分の業績を新しい視点で再構築してみる機会があるかもしれませんし、自分の専門に関わる重要な研究テーマが潜んでいる
かもしれません。
ただ、いずれの本も必ずしも心地よい情報ばかりを与えてくれるものではありません。カエサルの言葉を引用するまでもなく、すべての人がすべてのことを見る力を持っているわけではありません。多くの人は「自分の見たいと思う現実しか見ない」し、それ以外の現実を突きつけられると脳の働きを停止させ、場合によっては視覚や聴覚の働きまで停止させてしまいます。それでも防ぎきれないと怒り出してしまう場合もあります。

この3冊のうち進化生物学に関する2冊の本について簡単に紹介したいと思います。

もう1冊(ポール・ファッセルの本)はこのような場で内容紹介するのに相応しくないと思われますので、タイトルのみを記載するに留めることにしましょう。ただし、扱っている内容が「あやうい」にも関わらず、非常に緻密なデータに基づき客観的な記述が行なわれていることは述べておきます。この本はアメリカの社会についての同国のデータに基ずく社会文化的考察ですが、それにもかかわらず、全く歴史的な背景の異なる日本においても多くのことが当てはまるように思います。そういう意味で不思議な、そうして「理解しがたく受け入れがたい普遍性」を獲得しています。
それだけに「あなた」がそれを受け入れるだけの客観性を自らに対しても持てるかはとても保障できません。ただし、「あなた」が自分を受け入れるだけの余裕と自信を今の自分に持っているなら、この本を読んだ後、不特定多数に向けられた世の中のあらゆるメッセージの裏にこの本の指摘と同じものが隠されていることに気が付くでしょう。(私はこの本を読んでから新聞広告を見るのがとても楽しい。)


■「病気はなぜあるのか =進化医学による新しい理解= 」 
 ランドルフ・M・ネシー & ジョージ・C・ウイリアムズ、新曜社、ISBN4-7885-0759-5
 原書:Why We Get Sick -The Science of darwinian Medicine-
Randolph M. Nesse,M.D., and George C. Williams, Ph.D., 1994, New York

■「恋人選びの心 =性淘汰と人間性の進化= 」
 ジェフリー・F・ミラー、岩波書店、ISBN4-00-022823-4
 原書:THE MAITING MIND -How Sexual Choice Shaped the Evolution of Human Nature-
     Gieoffrey F. Miller, 2000, New York

■「階級 =[平等社会]アメリカのタブー= 」
 ポール・ファッセル、光文社、ISBN4-334-76098-8
 原書:CLASS: A Guide Through the American Sutatus System
   Pail fussell, 1983, New York

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◇◇◇ 「病気はなぜあるのか =進化医学による新しい理解= 」
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この本は今までの医学の「至近要因」の解析による病気の理解をシャッフルし、進化的要因(究極要因)の視点から再構築したらどうなるかということを説明してくれる。

病原が直接もたらす症状なのか、人体の防御反応による症状なのか充分に気をつけて対応しないと目的とは逆の結果をもたらすことが繰り返し指摘されている。また妊娠時のつわりや子供の野菜嫌いが適応的(進化的に理にかなっていること)である可能性が示唆される。これらは「このような不都合は淘汰されてしかるべきなのにそれが残っているにはなにか進化的な意味があるに違いない」という発想から生まれてくる考察である。
また進化は病原菌とそのホスト(人間など)、植物と動物(人間など)の果てしない進化的軍拡競争の産物であることが繰り返し指摘されている。その延長で、農耕開始後1万年の急激な環境の変化は進化のスピードをはるかに上回っており、人間の体が狩猟採集の原始時代の生活には適応していても1万年、特にここ1000年の生活にはとても適応できない状況にあることが理解される。近視や肥満もこの不適応の産物であるようだ。
ある確率でおこる先天的、遺伝的異常も物理的な確率とは合わないものがあり、その確率の差だけ何らかの適応的な効果があることが示唆される。先天的な異常は単なるコピーミスではない可能性がある。それは精神的な疾病についても指摘されている。
印象深いのは母親と子供と父親は必ずしも進化的、遺伝的に利害が一致していないという指摘であり、母親の胎内で起こっているさまざまな事象が子と母の、また子に遺伝子の半分を送り込んだ父親と母親のきわめて熾烈な主導権争いと駆け引きの結果である可能性があることを示唆していることである。

おそらくこの本は生物学特に進化生物学に疎い医者や医学生のために書かれた本と思われるが、それだけに専門用語は極力廃した書き方になっており、一般の読者でも充分楽しめる内容になっている。
「利己的な遺伝子」のドーキンスは「あなたはこの本を2冊買うべきである。1冊はあなた自身のために、もう1冊はあなたの主治医のために」とコメントしている。

◇◇◇ 「恋人選びの心 =性淘汰と人間性の進化= 」
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この本は「人間らしさはどうして生まれたか」という問いに対するひとつの回答である。この本は人間の「知性」や「ユーモア」や「芸術性」は孔雀の羽と同じ、つまりよりよい配偶者を獲得するために進化してきた性質だということを証明しようとしており、また非常に説得力のある説明がなされている。

進化を促すものとして環境への適応(自然淘汰)と配偶者の選択(性淘汰)があるとダーウィンは指摘しているが、性淘汰が自然淘汰に比べてはるかに淘汰圧として直接的で影響力が大きいにもかかわらず、いままでの進化生物学は自然淘汰を中心に考察が進められてきたこと、その傾向は人間の進化に対する学術的な考察ではより顕著になり、性淘汰がほとんど無視されてきたことを著者は指摘している。そうしてそこに性淘汰という概念を再投入したとたん、いままで解決できなかった問題が非常にシンプルに解決できることが具体的に語られていく。
人間は言葉を得たことで相手の外見だけでなく思考や心を知ることができるようになった。そうしてそれを配偶者選択の重要な要素にし、そこからより魅力的な性的魅力としての思考、つまり知性やユーモアや芸術性が生まれてきたという。ただこの考察にはもうひとつ重要な説明が必要になる。それは男女の性差、というか孔雀やアイルランドヘラジカのような決定的な性差が、知性やユーモアや芸術性という点において、人間の男女の間ではそれほどはっきりしていない現実である。そこまで考えた上でどこまで著者の思考を受け入れるのかは読者の「知性」にかかってるといえる。

・・・もし著者の考えが正しければ、今ここで著者の本を紹介している私は自分が性的に魅力のある人間であることを誇示していることになりますね。はたして効果はあるのでしょうか(笑)。


今年もArtist Consultants をよろしくお願い申し上げます。



2007年1月
 
   
 
[2006.11]
「2006年11月号をお届けします」
 イベント情報2006年11月号をお届けします。このページでは3ヶ月(11−1月)のArtist Consultantsが共感しているArtistの活動予定を掲載しています。

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「国際オルナタティヴ映像イベント」。NPOの「大学」であるシューレ大学の学生たちがまたひとつでかいことをやってのけました。そうしてこれほど若者らしい文章を私は久しぶりに手にした気がします。私などが何かいうよりよほど力があるように思いますので、もう一度転載します。シューレ大学 国際オルナタティヴ映像イベント実行委員長 石本恵美さんの口上です。

◆国際オルタナティヴ映像イベントのご案内
 ニュースでは紅葉の知らせも聞く頃となりました。いかがお過ごしでしょうか。私たちは不登校の子どもの学び成長の場として21年やってきたフリースクール東京シューレを母体として、自分のスタイルで学びたい、表現したい若い世代が始めたシューレ大学のメンバーです。シューレ大学は、一人一人が自分の教育計画をたて、卒業年からコースワークはもちろん、講座も講師の方と相談しながら作っていくオルタナティヴなNPOの大学です。運営も学生が積極的に参画していて、学費を学生が決めた大学と言うのも珍しいのではないかと思います。
 私たちシューレ大学では、この11月、文化の秋に国際映像イベントを行うことになりました。毎年秋に外会場を借りての公開イベントを行なってきましたが、創立7年を経て、初めて東京国立博物館内の一角座という大舞台で行ないます。一角座は荒戸源次郎さんが画と音にこだわり映画への情熱を傾けてつくられた私たちからすると理想の映画館です。正直なところ嬉しさと緊張で身震いがします。
 今回のイベントでは韓国、香港、イスラエル、ロシア、南アフリカにある若者中心の学びの場で映像に夢中になっている人たちの映像をお見せします。それぞれの団体が作ってきた映像をご紹介するだけでなく、映像素材を持ち寄ってイベント直前まで共同で制作した映像を上演します。この映像のテーマは今回のイベントのテーマ「閉塞感のある社会で生きたいように生きる」そのものです。ソ連崩壊後の混乱と変化にあるロシア、紛争が続くイスラエル、アパルトヘイト後の虹の国家作りに苦労する南アフリカなど生きがたさに違いもあれば、共通することもきっとあるでしょう。そんな生きがたさから目をそらさず、さらに閉塞感を突き抜けて、あるいはすり抜けて生きていこうとしている世界から集まった私たち若い世代の映像をご覧ください。
 当日是非一角座でお目にかからればと思います。また、関心をお持ちのお知り合いに、声をかけていただきますようお願いします。

シューレ大学 国際オルナタティヴ映像イベント実行委員長 石本恵美
特定非営利活動法人シューレ シューレ大学 スタッフ 朝倉景樹

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私からもぜひこのイベントに参加されることをお勧めします。

2006年11月

 
   
 
[2006.10]
「2006年10月号をお届けします」

イベント情報2006年10月号をお届けします。このページでは3ヶ月(10−12月)のArtist Consultantsが共感しているArtistの活動予定を掲載しています。

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津川晨(つがわしん)という人を知っていますか。
書を中心とした美術全般の評論活動をされていた津川晨先生が昨年2005年亡くなられたことをある書家のブログで知りました。津川先生は私が学校や大学の「先生」以外で先生と呼べる唯一の方でした。1987から1989にかけて、毎晩弟子として先生の自宅に通い、多くのことを学びました。最後はあまりの出来の悪さに首になったようなものですが、それでも先生から学んだことは私の基盤のひとつになっているのは確かです。

あらゆる意味で非常に厳しく、口先のお世辞を言わない方でしたが、その先生に、亡くなる1月前に、「まだ若いのだから、頑張れよ。」と声を掛けられたという書家が、私と先生を再び繋ぐ役割を果たしてくれました。

先生は北大を卒業後、「話の特集」や「一枚の絵」の出版・編集に関わり、その後「書の十二季」という雑誌を編集されていました。その次元の高い取り組みは、古い体質を残す「書」の世界の中で、異質であると同時に、高い評価を受けていました。先生はまたデザイナーであり、写真家でもありました。私が先生に出会ったのは、事情で「書の十二季」が休刊になった直後でした。

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ブログの書家である吉永益美氏に会い、その先生である大石千世先生を紹介してもらうために9月16日静岡の県立美術館で「千世の会」に出かけました。書道展は私の記憶では(ピアノの発表会と同じで)退屈なものが多い(はずな)のですが、「千世の会」は非常に印象的な作品がいくつもあり、明るく、活動的な印象を受けました。静岡という場所を考えると、これは真に特出すべき事のように思います。津川先生が「毎年必ず来ていた」という書道展であることも納得できるものでした。

それよりまず、書の良し悪しが本質的に美術作品の良し悪しと変わらないことに驚きました。「意味(ことば)のある抽象画」として書を見たとき、作品の出来、不出来は明らかであり、それは書の世界の中での評価ともそれほどずれていないように思います。(音楽の世界で学閥がコンクールの結果を左右するのと同程度の、派閥による評価のぶれはあるようではありますが。)

吉永さんと話をしながら感じたのは、「流れと勢い」の大切さであり、作品が一瞬の真剣勝負の連続であることは一般の美術よりむしろ音楽に近いもののように思います。偶然の美を強調する現代美術のある分野とも近いのかもしれませんが、その一瞬のために絶え間ない練習を続ける姿はむしろ音楽家に近いでしょう。それでも作品はあくまでビジュアルなものであり、鑑賞者はゆっくり時間をかけてその一瞬の成果を堪能できるのですから、そこが音楽と異なるところであり、ちょうど一般美術とクラシック音楽の中間のような存在であるように思います。とても面白い分野であるかもしれません。

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津川先生は昨年10月仕事先のホテルで朝亡くなられているのが発見されたと伺いました。身寄りがなく、遠い親戚が引き取りに来て、葬儀も行われなかったようです。その話を聞いたとき、非常に悲しく辛いものを感じましたが、少し落ち着いた今は「先生らしい最期」なのかもしれないと思っています。

先生はいくつかの分野で非常に核心的な仕事をなされており、先生に関わった方々も多いと思います。このままでは先生の業績や思想は、かかわったそれぞれの心の中に埋もれてしまうでしょう。私に出来ることを考えていきたいと思います。とりあえず今は私の中の先生を整理することであり、そのためにブログと掲示板を作りました。先生のことをご存知の方がいらっしゃいましたら是非書き込みをお願いします。

私にとっては先生の「忘れ形見」のような存在になった吉永さんですが、非常に繊細であるにもかかわらず、力と意思を感じるクリアな線が印象的な作品を書かれる方でした。(私もうそがつけない性質なので、今回のようなケースの場合、彼女の作品に本音で好感を持てることは救いです。)彼女は書の世界でもそれなりの評価を受けているように思います。今年の「千世の会」でも彼女の作品が会員賞を受賞したようです。今後の活躍を期待します。

・artist consultants 津川晨(つがわしん)先生のページ http://artist-consul.visithp.com/artist/tsugawa/
      ブログ         http://about-stugawa.at.webry.info/
      掲示板(bbs)    http://artist-consul.visithp.com/artist/tsugawa/tsugawa_bbs/joyful.cgi

*書家 吉永益美さんのブログ http://blog.livedoor.jp/hiou/

2006年10月

 
   
 
[2006.9]
「2006年9月号をお届けします」(6−8月はお休みしました)

 イベント情報2006年9月号をお届けします。このページでは3ヶ月(9−11月)のArtist Consultantsが共感しているArtistの活動予定を掲載しています。

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6月11日の世田谷古民家コンサートは雨の中素晴らしい演奏を聴くことができました。フルートの木藤さん、ギターの三浦さん、ありがとうございました。お2人の技術と音楽性の高さはには本当にわくわくさせられます。これからも様々な試みをしていただきたいと思います。
古民家は室内楽会場としても申し分のない会場でありました。ただマネジメントとしては多くのボランティアに支えられ漸く黒字という状況。課題も多かったといえます。

         +++++++++++++++++


さて、1月から立ち上げました「ARTIST・社会起業家のための『はじめの一歩』webサイト構築サービス」、報告が遅れましたが、完成したお2人のサイトをお知らせします。

●有限会社アーツブリッジ 代表 伊藤美歩さん
  http://www.artsbridge.co.jp/

「寄付金集め」というと日本ではまだネガティブな印象がついて回るようですが、実はファンドレイジング活動とは団体の応援団またはコアなファンたちを増やすための活動なのです。
「ファンを増やしたり、活動を長期的に支援していただけるようにようにするにはどうしたらよいのか?」アーツブリッジでは、みなさんとご一緒にその質問を一緒に考えながら、「今すぐできること」をご提案し、また実践のお手伝いをさせて頂きたいと思います。・・・・・

という伊藤さん。Artとお金の関係をもっとオープンにスムーズにそしてスマートにしてくださる方だと思います。打ち合わせの時間は本当に楽しい時間でした。今後の活躍を期待します。

4月21日にwebサイトリリースです。ご案内が遅れました。伊藤さんごめんなさい。
連絡を待ってます(笑)。


●快適空間 快適屋 宮井万紀子さん
   http://homepage2.nifty.com/kaitekismile/

入院してくださいと言われたら、困る、うろたえる、以外に何をすればいいのだろう、入院中身体がつらい時、何を思い、何を考えれば、つらさを軽く出来るのだろう。これらの問いかけに少しでも答えを出したいと思いました。どんな状況にあっても気持ちの良い自分を導き出すためのスイッチ、楽しい気持ちに意識が向うようにようになるためのスイッチが、誰の中にもあると思っています。押して、試して、元気になってくださいね。・・・・

という宮井さんです。しっかりと根をはやした楽天思考。過去と現実を見据えているから生まれる明るさと笑顔。とても基本的で、だからとても難しい問題に正面から、そうして力まずに向う彼女の姿勢がよく表わせたと思っています。様々な発展と展開の可能性をかかえ8月15日webサイトリリースです。

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実際にデザインを手がけたのはwebデザイナーの長峰利恵子さんです。artist consultantsの目的と意図を理解してくださり、通常は考えられない価格で仕事を請け負ってくださいました。ありがとうございます。

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2006年ももう2/3が終わろうとしています。個展、コンサート、webサイト構築サービスとそれなりに活動を続けてきましたが、まだ回り始めるところまでたどり着けない状況が続いています。
課題をどのように乗り越えるのか、これから最後の1/3に臨みます。


2006年8月

 
   
 
[2006.5]
「2006年4月5月号をお届けします」

ベント情報2006年4・5月号をお届けします。このページでは4ヶ月(4−7月)のArtist Consultantsが共感しているArtistの活動予定を掲載しています。

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●6月11日(日)世田谷の古民家「松陰コモンズ」でArtist Consultnats主催のコンサートを行います。
木藤久瑛さん(フルート)と三浦浩さん(ギター)のデュオコンサートです。フルートとギター。これはけっこういける組み合わせです。しかも二人ともすばらしいセンスと技術を持っている演奏家です。ぜひ。
詳細はArtist木藤さんのページで確認してください。

木藤さんも三浦さんも現代音楽を得意とする演奏家です。そういう演奏家が古典を演奏するときとても透明感のあるクリアな世界が広がります。たぶん現代音楽は「音程」を越え調や和音の微細なうねりの違いによる表現まで演奏家に要求してくるので、自然と音に非常に厳密になるのでしょう。逆にいうとそれを聞き分ける耳と演奏できる技術がなければ現代音楽と言われるジャンルの音楽はできないのだと思います。そういう厳密さで古典を演奏すると和音がとても透明になるのです。

三浦さんはジャンルに捉われることなく、幅広い分野で活動をしています。ギタリストですが、いくつかの音楽グループ(小オーケストラやバンド)を主宰しています。今は音楽の世界に留まっていますが、彼も新しい世界と時代を作っていく人の一人になるでしょう。

木藤さんもすばらしいテクニックと音楽性をもったプルーティストです。華やかで優雅ないわゆるフルートのイメージには収まらない、フルートのさまざまな表情を見せてくれます。フルートも木藤さん本人同様けっこう骨のある楽器だということを私は教えられました。私が留学を支援していたピアニストの留学時代の友人でもあります。

「松陰コモンズ」という場所も今回のコンサートの大切な要素です。音楽的には150年前の木造の古い古民家がギターとフルートをどのように受け入れてくれるのかとても楽しみです。音楽は響き。響きは楽器からのみ生まれるものではありません。演奏者の肉体、そうして会場の壁や天井、さらに聴衆のからだを伝わり響いていくのです。ほかの場所では味わえない響きを私たちは知ることになるでしょう。
音楽は響き。響きは音だけのものではありません。松陰コモンズは7名の「他人」が共同生活をするコレクティブハウジング(collective housing)。そこには何もなくても耳を傾けたくなるようなさまざまな和音が響きあっています。その和音に木藤、三浦の2人が加わり、スタッフや聴衆も加わっていきます。それが共鳴し一つの大きな和音をつくることができれば大成功だと思います。


2006年5月

 
   
 
[2006.3]
「2006年3月号をお届けします」

 イベント情報2006年3月号をお届けします。このページでは3ヶ月(3−5月)のArtist Consultantsが共感しているArtistの活動予定を掲載しています。

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●中沢しのぶさんの個展を渋谷と銀座で開催します。3月31日までです。ぜひご覧ください。会場の一つ、銀座ローゼンタールはドイツワイン専門のワインバーです。3年前にお店を任された島田さんはまだ若いですが、しっかりとした感覚と、類稀なる料理センスを持っている方です。
銀座会場には、豚革染色の高い技術を持つ福島工業さんの協力を得て、中沢しのぶさんの作品を使ったクッションも展示されています。

●藤井万喜子さんのページを作成しました。ぜひご覧ください。本物はもっとすばらしい、というか特別な力を持っています。個展のときまた紹介します。ぜひ観ていただきたいと思います。

●1月からアナウンスしているArtist Consultantsのwebサイト構築サービスは、順調に滑り出しました。3月にこれまでの状況をふまえ、価格体系を変更しました。ぜひご利用ください。

●6月11日(日)世田谷の古民家「松陰コモンズ」でArtist Consultnats主催のコンサートを行います。木藤久瑛さん(フルート)と三浦浩さん(ギター)のデュオコンサートです。フルートとギター。これはけっこういける組み合わせです。しかも二人ともすばらしいセンスと技術を持っている演奏家です。ぜひ。

まだまだお話したいことがあります。次の機会にまた。

2006年3月

 
   
 
[2006.2]
「2006年2月号をお届けします」

イベント情報2006年2月号をお届けします。このページでは3ヶ月(2−4月)のArtist Consultantsが共感しているArtistの活動予定を掲載しています。

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中沢しのぶさんの個展を渋谷と銀座で開催します。ぜひご覧ください。中沢さんの植物絵を用いた様々なアイディアが現在同時進行しています。具体的な話になりましたらまたお伝えします。
1月からアナウンスしているArtist Consultantsのwebサイト構築サービスは、順調に滑り出しました。3月にはこれまでの状況をふまえ、価格体系を変更します。現体系でのサービスをご希望の方は2月中にArtist Consultants までご連絡ください。

1960年代から1970年代にかけて、「セントラル・ドグマ」と言われるDNAを中心にした遺伝子の仕組みが発見され生物学が大革新した時代がありました(ワトソン、クリックが発表しましたが、実はロザリンド・フランクリンという女性研究者の研究成果が盗まれたものだと言われています)。今振り返ると、さまざまな例外やバリュエーションがあり、それはとても「セントラル・ドグマ」と大見得を切るようなものではなかったのですが、それでも生物学にとって大きな転換期であったことに変わりありません。その時代、あまりに変革が大きく激しかったため、この分野(分子生物学)抜きでは生物を語れなくなっていたにもかかわらず、これに関する教科書や参考書のたぐいはほとんど出版されませんでした。本を編集しているうちに新しい事実が見つかり、本の内容が古くなるため使い物にならなってしまうからです。

ちょっと大げさな前置きになってしまいました。そこまでではないですが、今様々な企画や話題が一度にArtist Consultnats とともにあり、とてもそのすべてを紹介することはできません。ですが、これからに期待してください。

2006年2月

 
   
 
[2006.1]
「2006年1月号をお届けします」

 あけましておめでとうございます。今年もArtist Consultantsをどうかよろしくお願い申し上げます。
イベント情報2006年1月号をお届けします。このページでは3ヶ月(1−3月)のArtist Consultantsが共感しているArtistの活動予定を掲載しています。

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「代下れリとて自ら卑しむべからず。天地の初は今日を初とするの理あり」(北畠親房「神皇正統記」)
これを丸山真男は「つねに今をすべての原初点とすることにより、恒久の過去は現在の瞬間に凝集され、それがすさまじいまでの明日に向かっての行動と実践のエネルギーとなる」(丸山真男講義録)と解釈しています。

これに比べると少しネガティブですが、マーク・トゥエインは「<if>ほど虚しい言葉はない」といっています。私は最初この意味がわからなかったのですが、この<if>は仮定法過去完了の<if>ではないかと思い当たったときその意味がストンと心に落ちました。だとすればたぶんこの二人は同じことをいっているのだと思います。過去は後悔で満ちています。「もしあのときxxしなかったら〜」「もしあのときxxしていたら〜」・・・。「世が世なら〜」というのも同じです。そういう思いでいる限り現在は常にマイナスであり、あらゆる行動は「今のマイナスをせめてゼロに戻したい」という思いで行われます。そうしてそのネガティブな思いはすべての行動に疲労感と虚しさを付加するだけでなく、思考や行動そのものも硬直化させてしまいます。その硬直が多くの場合、新しい<if>を生む結果になってしまう。限りない負の連鎖。

「代下れリとて自ら卑しむべからず。天地の初は今日を初とするの理あり」と思う場合にのみ「つねに今をすべての原初点とすることにより、恒久の過去は現在の瞬間に凝集され、それがすさまじいまでの明日に向かっての行動と実践のエネルギーとなる」のです。

2006年がはじまりました。もう考えるときは終わりました。過去を悔いるのでも忘れるのでもなく、あるいは華々しい過去に浸るのでもなく、それを現在の一瞬に凝集し、その思いを源に明日に向って行動しようではありませんか。

                        *************

Artist Consultantsはも早々に活動を開始します。1月13日から22日、Artist Consultantsがコーディネートした後藤夫妻のガラス作品展が渋谷のisola BELLA であります。Artist・社会起業家のためのwebサイト構築サービスも本格的にリリースすることになりました。artはnature(自然の美)に対する人工の美(技)をあらわす言葉です。ですからartistは音楽家や美術家だけではありません。学術的な研究者、そうしてsocial artist と呼ばれる社会起業家もすばらしいartistたちだと私達は思っています。世の中を美で満たすことに少しでもお手伝いをしたいと思います。


今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

2006年1月

 
   
 
[2005.12]
「2005年12月号をお届けします」

イベント情報2005年12月号をお届けします。この欄では3ヶ月(12−2月)のArtist Consultantsが共感しているArtistの活動予定を掲載しています。

☆2006年にむけて☆
★藤井万喜子さんの個展(11月)
銅版画です。あるメーリングリストの紹介文に「呼び止められた」のがきっかけでした。いい作品に出会ったときいつも感じるのはそれを言葉にする難しさです。強烈な印象を受ける作品ではないのですが、長くいればいるほど親しみと不思議な「あたたかさ」を感じる作品群でした。静かにくつろぎながら思索を楽しむ部屋に一枚そばに置きたい作品です。2006年のはやいうちにもう少し詳しく作品を紹介できるのではないかと思っています。楽しみにお待ちください。

★木藤久瑛さんの演奏(11月)
木藤さんのフルートは(フルートにありがちな)華やかで少し怠惰なサロン音楽とは少し違っています。
おそらく卓越した技術に裏打ちされているのでしょう。非常に知的で、繊細でありながら動的な音楽が展開されていきます。音楽性は人間性。もしそうなら、彼女自身もそのような方なのかもしれません。11月。彼女の恩師のリサイタルで「先生」と二人で共演しているのを聴くことができました。彼女のやや硬質の音色にはいつも「力強い静けさ」を感じます。「先生」の編曲を発表する場でもあるので出演者の多いリサイタルになるのですが、技術も感性も鋭さも群を抜いているように聞こえました。これからもいろんなものに挑戦してフルートの可能性と魅力を伝えてくれるのではなかと思います。2006年がとても楽しみな演奏家です。なにかをたくらみたくなるような演奏家でもあります。


★小沢吉一さん−写真家−
私はラファエロ前派の人物画、肖像画が好きでした。その人物の内面を伝える作品だからです。今も好きですが、イタリアでチッチアーノの肖像画を見たときその表現に圧倒されてしまいました。ルネサンスの天才には言葉がありません。
そのチッチアーノを思わせるようなといったら大げさでしょうか。人物を撮り、これほど内面に迫れる写真家を私は知りません。亡くなられた岡本敏子さんに大変かわいがられていた若者の写真が、今岡本太郎記念館の「岡本敏子のメッセージ展」で使われています。2006年は彼の成長もとても楽しみな年になります。

★中沢しのぶさん
PAINTING & DRAWING EXHIBITION というタイトルの個展が11月牛久でありました。いろんなアイディアと表情を持つ作家です。ちょっと挑発的な、でもおそらく想像を越える努力家です。
Artist Consultantsは2006年に彼女と仕事をすることを考えています。さあ、中沢さんいいですか?
(牛久のtakashi saito ギャラリーは確かな眼で常に新しい美術家を紹介、応援しているように思います。非常に質の高い個展が続いてるのもオーナーの評価眼と人柄によるのでしょう。以前は深夜まで開いていたお店が19:00閉店なったのは少し悲しいですが、おいしいカフェでもあります。)

★Artist Consultants & 後藤夫妻−ガラス作家− & 永井いづみ−isola BELLA-
さてartistConsultants。プロデュースとまではいきませんが、ちょっとしたコーディネートをした個展が1月渋谷のisolla Bella であります。ぜひいらしてください。
後藤夫妻の作品に出会ったとき最初に頭に浮かんだのがこのいづみさんのお店でした。お互いにとっていいきっかけになることを確信しています。そうしてこの個展がArtistConsultantsの2006年初仕事になります。

来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

2005年12月

 
   
 
[2005.11]
「2005年11月号をお届けします」

イベント情報2005年11月号をお届けします。この欄では3ヶ月(11−1月)のArtist Consultantsが共感しているArtistの活動予定を掲載しています。

10月12日の三絃リサイタルの案内が我が家に舞い込んできたのでいってみることにしました。「三絃の旅」と題された高田史子さんのリサイタルが4回目であることがプログラムには紹介してあります。高田さんは1968年に国際基督教大学を卒業された私の母校の先輩でもあります。私は邦楽には縁がなく、どこまで「わかる」のやらと思いながら伺いましたが、すばらしい演奏の非常に密度の高いリサイタルでした。
プログラムがとても意欲的で、室内楽に例えるならシューベルトのチェロソナタ(三絃と琴)と、バッハの無伴奏チェロ(三絃ソロ)と、ビバルディ−の合奏協奏曲(独奏三絃、尺八2、太鼓2、箏5、十七絃2)にリュート伴奏のコミカルなルネサンス歌曲(三弦の弾き語り「落語」)までついた・・・という感じで、これだけひとつのリサイタルで楽しめるとは思いませんでした。
演奏はとても奥深く、聴いたことがある曲も同じ曲とは思えない「音楽性」に満ちたものだったように思います。そういえばクラシック室内楽の名曲も同じような経験をしたことが何回かあり、邦楽も室内楽(クラシック)も、演奏者の人間性(とそれを支える技術)に多くを依存し、しかもやはり「生」でなければその良さを感じにくいのかもしれないと思ってしまいました。
残念なのは邦楽関係者がお客のほとんどであったことで、もう少し洋の東西を問わず音楽を学び、愛好しているひとたちに聴いてもらいたい演奏でした。それとしいて言うならば最後の「合奏協奏曲」がどうしても和音構成的にシンプルになってしまい、これがバルトークやタケミツくらいの現代的な和音の曲であれば・・・と、つい、ないものねだりをしたくなってしまいます。それほど、レベルが高い演奏だったということなのかもしれません。今後のさらなるご活躍を期待したいと思います。
      プログラム 地歌 四季の眺
             三絃独奏 双撥
             邦楽落語 たそわれ
             三絃協奏曲第五番(唯是震一)

日は遡りますが、9月25日、青山で後藤浩・恵里子夫妻のガラス作品(トンボ玉)の個展にいくことになりました。生物学研究者深谷緑氏の実験材料をお願いしたのがきっかけの個展でしたが、その素朴で繊細な美しさに久しぶりにわくわくしたものを感じました。artistのページにお二方専用のページを作成しましたのでご覧ください。
ちょっとした思い付きが楽しい結果に結びつくことがあります。渋谷bunkamura前でセレクトショップを営んでいる永井いづみさんと話しをし、いづみさんのお店であるisolaBellaで来年1月にお二方の個展をすることになりました。詳細が決まりましたらまたご連絡したいと思います。楽しみにお待ちください。

技術が大切であることは否定しようもありませんが、音楽も美術・工芸もその人間性が芸術性に転嫁しうるレベルになったときはじめて日常とは異質の特別な時間と空間を創り出せるような気がします。その場に居合わせた高揚や癒しは他では得られないものです。


2005年11月

 
   
 
[2005.9-10]
「2005年9月10月号をお届けします」

イベント情報2005年9月10月号をお届けします。この欄では4ヶ月(9−12月)のArtist Consultantsが共感しているArtistの活動予定を掲載しています。

「胸のすくような」とはこういうことをいうのでしょうか。海外在住日本人の選挙権を無視し続けた立法府の怠慢に対する最高裁の判決が出され、このようなケースとしては異例といっていい、損害賠償の支払いが国に対し命ぜられました。「不作為の罪」という言葉をメディアでみるようになったのはつい数年前からのような気がします。故意、過失いずれもなにか行動したことによる罪を問うものです。それに比べ行動しなかった罪を問うことは難しい。しかし、戦後の日本政府(つまりは日本国民)の罪のほとんどは「行動しなかったこと」、あるいは「惰性で続けれていることを止めなかったこと」によるものです。いずれも「不作為の罪」と言えるものでした。いやあの戦争も同じ罪によって引き起こされた結果ような気がします。その罪を厳しく断罪した最高裁に敬意を表したいと思います。

行動しないことが最大の罪なのかもしれません。人間にすべてを知る力はありません。間違っているかもしれないけれどもその時々のベストを尽くして行動することが一番大切なのでしょう。加速度を失わないことが大切なのだと思います。たとえ間違っても間違った行動に対し常にチェックという行動を行い、走りながら軌道修正することはそれほど難しくないのですから。

2005年9月10月

 
   
 
[2005.08]
「2005年8月号をお届けします」

イベント情報2005年8月号をお届けします。この欄では3ヶ月(8−10月)のArtist Consultantsが共感しているArtistの活動予定を掲載しています。

グラフィックデザイナー杉浦俊哉氏の作った曲を演奏するバンド「アンチテーゼ」の小さなコンサートがあります。アコースティックなそれぞれの楽器の音色の特徴を縦糸に、それに絡めるように言葉と旋律と和音を積み重ね、様々な思いを伝えていくような曲を演奏します。そういえば恋の曲はほとんどなかったような気がします。
グラフィックデザイナーである杉浦氏には私がピアニスト(上田敏)の留学を支援する活動(「上田敏を支援する会」993-1997)をはじめたころ出会いました。そのデザインは繊細で洗練されているにもかかわらず、暖かい感触に満ちており、三顧の礼をもって協力をお願いしたはずだったのですが、いつのまにかさまざまな泥臭い作業スタッフの一人になって、1000通の郵便物を出すためのコピーや宛名張り、切手張りの作業に巻き込んでしまいました。
予算の少ない状況でデザインにはさまざまな制約をつけなければなりませんでしたが、制約が厳しいほど心を射るようなデザインを持ってきてくれたように思います。人の心をつかむのは難しいものです。3年間の留学を支えた寄付は、もちろん上田敏本人の演奏の魅力によるものですが、その気持ちを郵便局に足を運ぶという実際の行動に結びつけたのは杉浦氏のデザインが支援者の無意識に働きかけた力がとても大きかったのではないかと思っています。

                   ++++

その「上田敏を支援する会」の活動の中で、ピアニストが演奏する曲目の解説をし、開設支援者に呼びかける文章や会員への会報の文章チェックをしていたのが応用昆虫学者であり行動学者でもある深谷緑です。(このサイトでは研究以外の分野はまだほんの一部ですが、DVGとして掲載しています)文章の点の位置を決めるのに30分も悩むような彼女の文書へのこだわりが活動への共感をひろげてくれました。また多くの文献を読みながらその中の「真実」のみを嗅ぎ分け結果として非常に独創的で本質的な曲目の解説を書く彼女の手腕は彼女の仕事そのもののありかたでもあったように思います。

深谷緑はハンガリー(ブダペスト)で行われる国際動物行動学会(International Ethological Conference)に出席するため8月19日、日本を発ちました。彼女は大学時代から動物の「認知」の方法について興味を持ち続けている研究者といえます。それが、動物と植物の共進化への興味やオスの配偶行動におけるメス認知の方法の解析といった実際の研究結果に現れています。結果的にメス認知のための物質をカミキリムシでは世界ではじめて同定するのに成功するということにもなりました。対象から言えば応用昆虫学者ということになり、物質同定の実績を重んじる人は彼女を化学生態学者だと思っています。しかしその目的と感心から彼女をみると彼女は紛れもない行動学者ということになります。学問の世界にも流行り廃りがあり、日本の動物行動学はしばらく先端的な理論重視(数式重視)の研究が重きをなす時代が続きました。その中で彼女の視点や主張はほとんど顧みられることはありませんでしたが、ようやく風向きも変わりつつあるようです。

彼女の実験はとてもシンプルで、「夏休みの自由研究」程度の材料しか使いません。それで膨大な費用と設備を注ぎ込んだ実験とほぼ同等の、場合によってはそれ以上の結果を出してきました。それは彼女の視点の独自性と柔軟性を示す結果でもあるでしょう。
その彼女が今岐路にあります。研究的に認知という視点から昆虫の枠を超えなければ先に進めない状況になっていますが、その研究対象を今まで扱ってきた研究者にとっては彼女はよそ者の素人にしか見えません。それは対象を人間にしている哲学(美学)や心理学でも同じことです。そういった枠を超えたネットワークが必要なのですがそのネットワークをなかなか作れないでいる状況が続いています。
また身分的にも危機的状況にあるといえます。彼女は「ポスドク」と言われる身分を何回か渡り歩いてきましたが、現在のポスドクの期限がこの12月に切れ、その先は決まっていません。ただ彼女は職がなくても研究を続けるでしょう。

その彼女の壁を破るきっかけを求め、彼女は単身今回の国際動物行動学会に出かけていきました。ブダペストは奇しくも上田敏(ピアニスト)が留学していたリスト音楽院のある場所です。非常に美しく、また何か地から湧き出るような不思議な生命力を感じる土地でもあります。その場所で彼女が何かをつかむことを祈りたいと思います。

余談ですが彼女の曽祖父は「日本山林史」を書いた農学者であり、祖父は日本基督教団を創設した(まとめあげた)牧師でした。彼女の中で研究や科学的な知識と精神世界はなんの矛盾もなく一つになっています。彼女の聖書の解釈はどのような牧師の解釈より切実で示唆深いものです。それぞれの分野で彼女の理解者、共感者はいても、深く広い彼女の内面のすべてを共有できるひとはなかなかいないのも確かです。分野にこだわらない仲間を彼女は必要としているのだと思います。


2005年8月

 
   
 
[2005.07]
「2005年7月号をお届けします」

イベント情報2005年7月号をお届けします。この欄では3ヶ月(7−9月)のArtist Consultantsが共感しているArtistの活動予定を掲載しています。

6月、母校国際基督教大学(ICU)で卒論のアドバイザーである風間晴子教授の還暦のお祝いがあり出席してきました。私は過去に固執することを必ずしも潔しとはしませんが、あの大学が、そうして教授を囲むあの雰囲気が自らの原点のひつつであることを改めて感じる時間でした。
教授は植物生理が専門のいわゆる「生化学屋さん」ですが、学問とは何か、大学とは何か、そうして「市民」として社会に貢献するとはどういうことかを常に自らにも学生にも問いかけ続けていらしたような気がします。大学や学問というキーワードが社会貢献というキーワードと少しも矛盾することなくお互いがお互いを支える理念として存在するのがICUであり、その卒業生でもある教授の思想でもありました。
世界中の研究所や大学院から教え子たちが集まってきていましたが、同時にNPOやNGOの関係者も多くいたことはそれを象徴しているような気がします。

学問に対してどのように貢献していくかは Artist Consultants にとっても残された課題です。境界領域を専門としていたり独創的な視点からいくつかの領域をまたがり、繋げるような研究をしている研究者にとって既存の学会は研究を支えるというより足かせになる場合も多々あるのが現状です。既存の枠をとりはずせない人々にはそういう思考や視点は理解できないことであり、理解できないものは攻撃の対象とになされるか無視されるかいずれかのケースが多いからです。「楽市楽座」的な安全な環境と自由な議論のできる場を何とか構築、提供できればいいと考えていますが、非常に難しい問題でもあります。

同じ6月「SV東京」(東京ソシアル・ベンチャー)の主催によるネットワークミーティングで「世田谷ものづくり学校」を見学する機会がありました。廃校となった中学校をほぼそのままに、多くの企業やグループが入居して「活動」しています。ほとんど改修らしい改修が行われていないにもかかわらず、新鮮で魅力的な空間が創造されています。これを今の私の語彙で説明することは不可能です。ただヒントがあるとすれば「校長先生」が非常にしっかりとした「考え」で現実をとらえていらっしゃる方であったということでしょうか。この場所が魅力的なのはそこにある物たちが魅力的なのではなく、そのものに宿った精神が魅力的であったからなのかもしれません。
非常に現実的にそうして冷静に「常識に対する疑問」を持つことからこの場所は生まれているように思いました。けれどもいかなる言葉もやはりそれを説明できません。可能な場所にいらっしゃる方はぜひ見学に行くことをお勧めします。

2005年7月

 
   
 
[2005.06]
「2005年6月号をお届けします」

イベント情報2005年6月号をお届けします。この欄では3ヶ月(6−8月)のArtist Consultantsが共感しているArtistの活動予定を掲載しています。

ドレスデザイナー金海江里さんのページができましたのでお知らせします。まだ挨拶だけですが、これからいろんな情報を載せていけると思います。3月小沢吉一さんという若者の写真展のオープニングに行きました。そこに、金海さんともう一人年配のご婦人の非常に魅力的な「ツーショット・ドアップ」写真がありました。金海さんは以前から知っていましたが、もう一人の方の笑顔があまりに魅力的で何という方か写真家に尋ねたのです。彼は「岡本敏子さん」だと教えてくれました。彼女はこのオープニングにもいらしたようで私と入れ違いに帰られたと聞きました。とても残念に思いましたが今度ぜひお話をうかがおうと思っていました。・・・・
 岡本太郎記念館の館長で岡本太郎の養女でもある敏子さんの訃報を聞いたのはそれから一月もたっていない日でした。人生はすれ違いの連続です。写真の笑顔でも金海さんはその敏子さんに決して負けていませんでした。たぶんその個性と仕事への情熱も負けていないと思います。
linkページを作りました。このページは公募で構成します。artistにこだわらず、artist_consultants にふさわしいサイトがありましたらぜひお知らせください。

皆様のための専用ページも作りました。artistに対するadmirers(賛美者)のページです。パスワードはメールにてお知らせします。
萩尾望都のまぼろしの名作(?)「いるかいないかさがし」について掲載しています。「トーマの心臓」「半神」「11人いる」・・・彼女の思考の世界の深さと幅の広さには言葉がありません。深いけれど楽しく明るく、そうして教育的な「いるかいなかさがし」にはまた他の名作とは違う魅力があります。


2005年6月

 
   
 
[2005.05]
「2005年5月号をお届けします」

イベント情報2005年5月号をお届けします。この欄では3ヶ月(5−7月)のArtist Consultantsが共感しているArtistの活動予定を掲載しています。

●NPOと「口座が変われば世界が変わる」キャンペーン

NPO法人なるものが制度化されたのはつい数年前と思っていましたが、いまやあらゆるところであらゆるNPOが活動しています。コンビニ、宅配便、に続く日本の「新しいインフラ」になりつつあります。
他方JRの悲惨な脱線事故(2005.4.29)では運転士のことに目が向かいがちですが、古い体質を温存している日本の(一部の)「営利企業」の閉塞感とここ数十年少しも変わっていない企業風土、それに盲目的に従う従業員たち、そういった構図を浮き彫りにしています。
脱線列車に乗り合わせた2名の無傷のJR社員はそのまま出勤したようです。その同じ現場で事件とは直接何の関りもない近隣住民のボランティア的活動が人命救助に大きな役割を果たしたという記事を目にしました。変わりつつある世界と変わらない世界がはっきりとした境界線をもちながら入り乱れています。 4月に行われた「口座が変われば世界が変わる」キャンペーンはNPOが本気で真のインフラになることを自覚して行動し始めた例のように思います。この活動はまだ世の中に強い影響力を持つに至っていませんが、ちょうどマイクロソフトが初期のLINUXに感じた脅威のようなものを鋭敏な金融機関は感じ始めているように思いました。これからが本当の活動になるでしょう。真剣な活動を継続できれば旧体質をなかなか変えられなでいる一部の企業や、最も旧体質が残る「日本最大のNPO(非営利組織)」をゆすり起こすことができるかもしれません。


●月に図書館を作るという使命、あるいは夢

4月は新入学の季節でもあります。ふと中学に入学したころ考えていた自分の「使命」(あるいは夢)を思い出しました。それは「月に図書館を作る」ことでした。人類のためではありません、いつかもう一度生まれるかも知れない意識と知性を持った地球上の生物のため、または「いずれ訪れるであろう地球外の知的生物」のための遺産としての図書館でした。

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人類はいずれ(かなり近い将来)いなくなるでしょう。そう考えていました。当時「核の脅威」が声高に叫ばれていましたが、核戦争はそれほど心配していませんでした。「やらなければ助かる」ことをやらないで済ませることはそれほど難しいことではない・・・そう考えたようです。それより「やめなければ助からない」ことのために今していることをやめることは無理だろうと考えていました。つまり環境問題です。ただ当時はいわゆる自然環境及び生態系破壊に対する危機感(緑色問題)はそれほど実感のある問題ではなかったのは確かです。公害を中心にした汚染、また資源・エネルギーの問題(褐色問題)を解決できないまま人類は滅びると考えていました。

ただそこまでは社会からのメッセージを受け取ったに過ぎません。・・・
人は自分が死ねば後の世界はどうなってもいいと思う人はほとんどいません。後世(子供たちの世界)がよりよい世界になることを願うのが普通です。そのために後世に多くの教訓(またはお説教)を伝えようとしてきました。またこれからもそうしていくでしょう。死ねば自分の意識も感覚もなくなってしまうのにです。自分がいなくなってしまうのにまるで自分のことのように後世を心配します。たぶんそれは間違っていません。それゆえに人類は人類でありえるのでしょう。

ではこの「自分」を「自分たち」に置き換え、「自分たち」を「人類」に置き換えてみることは可能でしょうか。可能ならば、それは必要なことではないのでしょうか。上の文章を置き換えて書き直してみます。

「人類は自分たちが死ねば後の世界はどうなってもいいと思う人はほとんどいません。後世(人類後の地球の世界、または宇宙のなかの人類の後継者あるいは同朋である地球外の知的生命の世界)がよりよい世界になることを願うのが普通です。そのために後世に多くの教訓(またはお説教)を伝えようとしてきました。またこれからもそうしていくでしょう。人類が滅亡すれば自分たちの意識も感覚もなくなってしまうのにです。人類自身かいなくなってしまうのにまるで人類そのもののことのように後世を心配します。たぶんそれは間違っていません。それゆえに人類は人類でありえるのでしょう。・・・・・」

では真に「後世(人類後の地球の世界、または宇宙のなかの人類の後継者あるいは同朋である地球外の知的生命の世界)がよりよい世界になることを願う」なら私たちは後世のためになにをすべきかを考えたのです。

それが「月に図書館を作る」という使命であり夢でした。
人類の智慧と人類が滅亡に至った愚かさをそのまま伝え、「彼ら」が自らに活かしてもらうための図書館でした。当時若いがゆえの気負いもありました。「真に、真の後世のためのことを考えられるのは自分しかいない」と考えていました。

      +++++++++++

今もし目の前で中学生の若者が静かにこのようなことをあなたに語り、同意を求めたらあなたはどう応えますか。一笑に附しますか。心から同意しますか。何かが違うと思うならその違うことをきちんと説明できますか。

私は「何かが違う」ような気がしますが、そのことをきちんと言葉にすることが未だにできないでいます。「『彼』は間違っていない。」 心のどこかで未だにそういう声を聞きます。


2005年5月

 
 
 
[2005.04]
「2005年4月号をお届けします」

イベント情報2005年4月号をお届けします。この欄では3ヶ月(4−6月)のArtist Consultantsが共感しているArtistの活動予定を掲載しています。

イラクでは選挙が終わり(「混乱は想定内のもの」というのが世界的な評価のようです)新議会による政権作りがようやく始まりました。一刻も早く安心して眠れる環境が整うことを心から願います。新政権が成立の経緯やしがらみに捉われず、(国民のための存在であるという)政府本来の目的を忘れず、辛抱強く、したたかに国民の真の自由と安全を獲得すべく全力を尽くすことを期待します。

イラク戦争、ブッシュ再選に関する心の中の常識をあまりに端的にまとめてくれているので、あえて今、日本経済新聞に掲載されたマハティール氏の記事を掲載します。もし心のわだかまりを整理できないでいる方がいらっしゃるのなら少しは役に立つと思います。マハティール氏は現役時代非常に現実的な政治家であったと記憶しています。その彼が米の著名な言語学者・(政治)思想家であるチョムスキー氏と同じことを言っていることを指摘しておきます。
余談ですが、これほど明快で端的な解析を行っているマハティール氏が最後の「日本の役割」のパラグラフでは曖昧で希望的な言葉連ねているのは残念です。日本の読者に気兼ねして本音を言えなかったのかもしれません。

                    ■□■□■□■□■□■□■□■□

2004年12月3日(金曜日)日本経済新聞・朝刊8面

■第2期ブッシュ政権/マハティール前マレーシア首相に聞く

        戦争の時代はまだ続く−−東アジアの結束重要−−

米国ブッシュ大統領の再選を世界はどう見ているのか。アジア地域などへの影響を含め、マレーシアのマハティール前首相に聞いた。

−−ブッシュ再選後の世界はどうなる。
「世界にとって大きな災難だ。また4年戦争の時代が続く。ブッシュ政権は卓越した軍事力を背景に。先制攻撃をしかけ、他国の政体を変える権利があると考えている。民主主義に反する考えだが、世界は米国を恐れて追従するばかりだ。今後も米国に抑圧された人々は暴力に訴える。安全対策には一層コストがかかり、不確実性はビジネスを萎縮させる」

−−ケリー候補の落選要因は何か。
「ブッシュ陣営が恐怖を利用したからだ。大統領は常に米同時テロの恐怖を語り、米以外の事情に疎い米国人が彼の言うことを信じた。超強硬派(ネオコン)やキリスト教右派、ユダヤ人ロビーの力も強かった」

−−イラクに変化は。
「好転するとは思えない。選挙を実施しても新政府は国を掌握できず、米軍の撤退は困難。撤兵すればイラク政府を(国内の反政府勢力からの)攻撃にさらすことになる。米国の駐留が続けは国民の怒りは増す。」

−−米とイスラム諸国の間には宗教対立があるかに見える。
「宗教対立でも文明の衝突でもない。根本原因はパレスチナ人の土地が奪われたことにあり、あるのは領土的要求だ。加えてイスラエルによる圧制がパレスチナの怒りを生む。他の地域のイスラム教徒は共感し、助けようとする。たとえ狂信的であるにしろ、人がなぜ進んで自分の体に爆弾を縛りつけようとするのか。それだけパレスチナ人は怒り、挫折感を味わっている。真の原因を見つけ取り除かない限り、テロは根絶できない」

−−北朝鮮の核問題を抱える東アジア地域の安全保障には米の存在が欠かせないのではないか。
「北朝鮮の脅威は誇張されている。北朝鮮が核兵器を保有したとしても、使用は自殺行為だ。米とロシアが同国を破壊し、侵略さえするかもしれない。北朝鮮はそれを許すほど愚かではない。」
「日中韓と東南アジア諸国連合(ASEAN)が東アジア経済圏として国際社会で一定の力を持つべきだ。米国も入るアジア太平洋経済協力会議(APEC)は経済問題を話し合う場であるにもかかわらず、安全保障など他の問題に乗っ取られてしまった」

−−日本の役割は。
「東アジア経済圏が世界支配につながるなどとは考えず、積極的に関与すべきだ。欧州連合(EU)と北米自由貿易協定(NAFTA)という2つの経済圏とバランスをとるのが目的だからだ。国民的人気のある小泉純一郎首相がブッシュ政権に近いスタンスを変えれば、国民全体の支持を得られるに違いない」
「すべての風が東洋に吹いている。西洋は世界を主導する力を失い、成長しようとしているのは東南アジアと日中韓、インドだ。各国がまとまることで世界に調和をもたらすことができればと思う」
(聞き手はクアラルンプール 山崎淳弘)


2005年4月
 
   
 
[2005.03]
「2005年3月号をお届けします」

イベント情報2005年3月号をお届けします。この欄では3ヶ月(3−5月)のArtist Consultantsが共感しているArtistの活動予定を掲載しています。

上田敏のコンサートにを聴きました。演奏が進むに連れ深く引き込まれるようなコンサートでした。ドビッシーのステージもすばらしかったですが、後半の連歌と題した一連の曲は深い哲学性を理屈ではなく感性で語りかけるステージだったように思います。今聴いているのがピアノの演奏であるということを忘れてしまうような時間でした。
久しく経験していない形而上的な世界をしばらくさまよったせいか、演奏が終わって我に帰った時まで呼吸をするのを忘れていたようです。気がつくと少し苦しくなっていました。アンコールは1曲でしたがそんな状況を察してか、ゆっくりと聴衆を現世に引き戻してくれるようなやさしい演奏でした。

プログラムを紹介しておきます。

第1部 「ドビッシーの世界」
  セレナーデを歌っているのにじゃまされて(前奏曲集第1集より)
  アラベスク第1番
  ミンストレル(前奏曲集第1集より)
  雪は踊っている(子供の領分より)
  塔(版画より)

第2部 「6人の作曲家による連歌」
  プロコフィエフ : トッカータ
  アルベニス : タンゴ
  スクリャービン : エチュード作品8の2
  スクリャービン : ポエム作品32の1
  リスト : 超絶技法練習曲より第12番「吹雪」
  バッハ : コラール前奏曲「イエスよ、私はあなたに呼びかける」
  ショパン : 幻想ポロネーズ

アンコール
  チャイコフスキー「舟歌」

     +++++++

木藤さんのコンサートは渋谷の地下のバーでした。フルートとギターという組み合わせはうまく想像できませんでしたが、聴いてみたら耳に馴染んだ音色でした。私の耳に残っていたのはギターではなくリュートだったのかもしれませんが・・・
聴いてみれば「お似合いの二人」。フルートにとっては音量のバランスをとるのが難しいピアノが相手よりよほどいいかもしれません。フルートの音色は実は人によって全然ちがいます。木藤さんの音色は聴き手を落ち着いた気持ちにさせてくれるので私は好きです。

                       ++++++

生物学研究者、深谷緑のWEBサイトが立ち上がったという連絡を受けましたのでリンクを張っています。プライオリティーの問題など解決しなければならない問題はいくつかありますが、将来は分野を超え独自の発想で研究を進めている研究者のための心地よいディスカッションの場を提供できればいいと考えています。皆様のアイディアの提供と協力をお願いします。

2005年3月

 
   
 
[2005.02]
「2005年2月号をお届けします」

イベント情報2005年2月号をお届けします。この欄では3ヶ月(2−4月)のArtist Consultantsが共感しているArtistの活動予定を掲載しています。

1月22日「東京ソシアルベンチャーズ(SVT)」のネットワークミーティングに出席する機会を得ることができ、幸運にもその立ち上げ(?)に立ち会うことができました。合衆国で生まれたSVPの「東京支部」という位置付けですが、高い理想を持った若くて優秀な人材が結集しつつある、そういう印象を持ちました。どのような団体も結局はそこにどのような人が集うのかということが一番大切なのかもしれません。(SVPについては下記の説明を参考にしてください。)

少し年をとり過ぎてしまったのか、新しい集団を覗きにいくときはつい懐疑的な目を向けてしまいますが、この場所はそんな気持ちをあっという間に吹き飛ばしてしまいました。思いは熱いのでしょうが、落ち着いた目をした人々が集っているという印象を持ちました。自らを伝えるだけでなく、人の話を聞き、心を感じることを忘れていないのです。あたりまえのことですが、このような状況でそれは普通の気持ちでできることではありません。話を聞くと中心にいるメンバーはベンチャーキャピタルのプロたち。話を聞くことから仕事が始まっていくことを日ごろから体感しているのでしょうか。いくつかの国内外の災害をきっかけにボランティア精神がしっかりと根付いてきた日本に、今必要とされているのはその精神にしっかりとした肉体を与えることのように思います。これは私の勝手な解釈ですが、SVPはその精神に肉体を与えることを使命としている集団といえるのではないでしょうか。彼らの勇気と理想にこころから敬意を表したいと思います。

古くからキリスト教神秘主義者に伝えられているいう「東方の光」伝説、その光を迎え支える基盤がいたるところで整いつつある、いつもなら一笑に付してしまうかもしれないそんな御伽噺をつい信じたくなるような出来事でした。ところでネットワークミーティングのテーマは「アーティスト支援」。そこで出会った人々のさまざまなアプローチにはArtist Consultantsとしても可能な限り関り、紹介していきたいと思っています。

                  +++++++++++

「われらが上田敏(ピアノスト)」(笑)がコンサートをします。マネジメントは今回はArtist Consultantsではありませんが、強力な新しい彼の理解者と思われる人物です。

Artist Consultantsもチケットの販売で協力することになりました。ぜひコンサートにいらしてください。お申し込みはArtist Consultantsまでメールにてお願いします。具体的な理由を挙げることはできませんが、なぜかこのコンサートでとてもすばらしい体験ができそうな気が私はしています。私は彼の今回の演奏に今までにないほど期待しています。


2005年2月

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ソーシャルベンチャー・パートナーズ(SVP)とは?
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NPOや、社会目的事業(ソーシャルベンチャー)むけの支援組織。ベンチャーキャピタルのスキームを社会的な事業にアプライ、もしくはアレンジして成果を目指す。米国では、こうしたスキームを「ベンチャーフィランソロピー」と呼ぶが、SVPはその草分けのひとつ。特徴的なのは、「パートナー」と呼ばれる会員個々人が出資しあい(アメリカでは約5,500ドル)ファンドを組成し、投資を行うだけでなく、パートナー個々人のもつビジネスでの専門性での貢献も行う。NPOは一般的に経営インフラが弱いため、ITや会計、マーケティングなどそれぞれの持つビジネススキルによる貢献も行うのが特徴。すでに全米で約20箇所、他に英国、オーストラリア、イタリアなどにもSVPは展開している。

 
 
 
 
[2005.01]
「2005年1月号をお届けします」

 あけましておめでとうございます。
イベント情報2005年1月号をお届けします。
この欄では3ヶ月(1−3月)のArtist Consultantsが共感しているArtistの活動予定を掲載しています。
新年の挨拶をするにはあまりにも悲しい出来事が続いています。 津波で命を落とされた方々のご冥福を心よりお祈りいたします。
1月4日現在 スマトラ島沖地震とインド洋大津波による死者は14万4000人。 この中には被災国民だけでなく、クリスマス休暇を南洋で楽しもうとしていた世界中の観光客、被災国で社会活動を営んでいた世界中の人々が含まれています。Artist Consultants のサイトアドレスが変更になりました。
新しいアドレスは http://artist-consul.visithp.com です。
今後ともよろしくお願いします。

2005年1月
 
 
 
 
[2004.12]
「12月号をお届けします」
 イベント情報12月号をお届けします。
この欄では3ヶ月(12−2月)のArtist Consultantsが共感しているArtistの活動予定を掲載しています。
ウクライナが微妙な情勢にあります。ウクライナの首都キエフは私の記憶が確かなら ロシア最初の首都であったはずです。ドイツの旧プロシア領放棄とあわせ時代の流れを感じさせます。国境は少しずつ、でも絶え間なく動いています。
「ワルシャワの暑い夏」の日々、当時まだ若かった(笑)私はテレビの前に噛付き、心の中で「連帯」の旗を振っていました。今同じことがウクライナで起こっているのかもしれませんが、どうも素直に喜べません。私が年をとったのか、世界が変わってしまったのか。
ひとつだけいえることは、代理戦争はいつの時代でも、どの地域でも悲惨な結果しか生まないということです。どうかウクライナの人々も安易に外国に助けを求めるのではなく、どんなに時間がかかっても自分たちの運命は自分たちで決めるという強い意志をもって行動してもらいたいものです。

2004年12月
 
 
 
 
[2004.11]
「11月号をお届けします」
この欄では3ヶ月(10−12月)のArtist Consultantsが共感しているArtistの活動予定を掲載しています。
揚原祥子さん(ピアニスト)のリサイタルに行きました。優秀な若い女性ピアニストにはアグレッシブな演奏をする方もあり、なにゆえに聴衆が「攻撃」されなければならないのか理解に苦しむことがありますが、揚原さんはそういうところを微塵も感じさせないピアニストです。何事にも何者にも動じない落ち着きと深い優しさを感じる演奏でした。
ピアノリサイタルに慣れてしまうと、つい作曲者のこととか解釈の歴史的な変遷とか、そういうことに頭がいってしまうのですが、何も考えずに曲に浸ることができた時間だったように思います。いい演奏でした。今後の活躍を期待します。ありがとうございました。
TSG(Takashi Saitoh Gallery)での個展の際、画家の清水しのぶさんと話をする機会を持つことができました。
自分の感覚を信じ、本当の意味で自分の力で自分の人生を切り開くことをとても大切に思っている方だと思います。機会がありましたらこのサイトでも紹介しながら、ともに歩んでいきたいと思っています。
CDCにしろTSGにしろ様々な角度から芸術環境における現状の打破を進めようとするような動きを感じます。このような様々な動きが重なり合い共鳴しあいながら大きな流れを作っていくのかもしれません。

2004年11月
 
 
 
 
[2004.10]
「10月号をお届けします」

 この欄では3ヶ月(10−12月)のArtist Consultantsが共感しているArtistの活動予定を掲載しています。画家、小室久美子さんのページを作成しました。ご覧ください。また初めてのケースとして、注文、購入希望も受け付ける予定です。興味持たれましたらACまでお問い合わせください。

9月「誰も知らない」(是枝裕和監督)を観にいくことになりました。ストーリーやこのような状況の善悪をいう気持ちにはなれません。人はどんな時でも人であり続けることができる。そういう希望を強く感じた映画でした。
状況が悲惨であり身なりも生活もとても人間らしいとはいえない状況の中にあっても4人の子供の心は最後まで美しく清らかなままで終わっています。これはおそらく監督の哲学「究極の生善説」によっているのではないかと思います。その美しさにたまたま接することになった大人や子供が物語りに織り込まれていきます。 事実がどうであったのかは知りません。たぶんそれを知る必要はないのでしょう。 ただ、もし事実もこのようであったのだとしたら人類はひょっとしたら神様に許され、もう少し種として生きる時間を与えてもらえるかもしれません。

タイトルは少しいただけませんが(笑い)、私の記事が9月15日の日経の夕刊に掲載されました。ひょっとしたら家族は同一姓であったほうが「便利」なのかもしれません。でもそれは男女の立場が対等になり姓の変更のしわ寄せが女性に偏らなくなった後でなら、はじめて強制も可能なことのように思います。そうとはいえない現実において「夫婦同姓(の強制)は時期尚早」であろうかと思っています。
「幸せ←結婚←姓の変更」という何の根拠もない連想ゲームが「幸せ=姓の変更」 という錯覚を起こしてしまっているのでしょうか。
「権威や常識に頼ることなく、自らの感覚と心に問いかけることでしか見つけることの出来ないものがあります。自らの感覚と心のみを頼りに、私たちは活動を続けていきます。(アーティストコンサルタンツとは)」それは「言うが易し」でありましょう。

Artist Consultantsは人生のあらゆる多様性を容認しあえる社会を望み、そのような社会の核として「多様性を楽しみ合えるコミュニティー」作りを進めています。
それがArtistたちの活動に何よりも必要な支援になると思うからです。


2004年10月
 
 
 
 
[2004.09]
「9月号をお届けします」

この欄では3ヶ月(9−11月)のArtist Consultantsが共感しているArtistの活動予定を掲載しています。明貫紘子さんが事務局をしているCDCの第1回クロスミーティングに出席しました。
日本のartおよびartistがかかえている2つの大きな問題、つまり
(1)artistが世の中から理解されることに絶望し評価されることを恐れ自己満足の閉じた世界に没入していく傾向
(2)強大な力を持つマスメディアとその「視聴率」や「発行部数」という数値が作品の多様性を拒否し、そのマスメディアが画一化された価値観や一時的な「きまぐれ」でartistの活動をコントロールしようとしている現状が「はからずも」あぶりだされるような座談会であったように思います。座談会のお二方(水越伸氏(東京大学)と桂英史氏(東京芸術大学))は全く別の立場からほとんど逆の視点でこの問題に直面し解決の方法を模索しているように見受けられました。
この問題は実は表裏一体となる一つの問題であり、そのことにまず気がつく必要があります。Artist Consultantsも、また別の理由と動機から、その問題に対する試みの一つであるともいえるかもしれません。
「多様性を容認しあえる社会」というとても当たり前で、でも最も非日本的な社会で生きること私たちは(たぶん切実に)望んでいます。その実現は難しいかもしれませんが、「お互いの多様性をお互いに『楽しみあえる』コミュニティー」を作ることはそれほど難しいことではないかもしれない。そんな思いがArtist Consultantsが生まれるきっかけのひとつでもあります。作品、価値観、思想、人生・・・。ありとあらゆる多様性を「楽しみ」「尊重する」(共感はできないこともある!(笑い))コミュニティー。そんなコミュニティーの存在がどれだけArtistたちの自由な発想や活動を護ってくれるか。

CDCのクロスミーティングが縁で一人の画家と知り合い、ひとりの研究者と再会できました。その画家は近いうちにこのサイトで紹介することになると思います。クロスミーティングで誘われた進化学会で(駒場で行われていた)「非生命体の進化論」というセッションの座長をしていらしたので、その研究者には本当に久しぶりにおめにかかりました。話しかけてもいないので、「再会」などといえるものではありませんが、非常に明晰な頭脳をもちながら、あまりにバランスがとれているため、普通の人に見えてしまう。彼はそのような人です。確か中島敦が「弟子」の中で孔子についてそのような表現を使っていたような気がします。孔子も実は彼のような人であったのかもしりません。
いつのまにか東京大学の助教授になられたようですが、私が最初に「生物学史研究会」というところでおめにかかったときはまだ大学院生であったように記憶しています。
それにしてもArtist Consultantsをしていてまた彼に「ぶつかる」とは思ってもいないことでした。駒場は私の母校ではありませんが、私がなにかに興味を持つといつもあそこに「呼びつけられる」ような気がします。まだ名前もついていないような知的な混沌を楽しむ人たちがいつもそこにはいて何か私をほっとさせてくれます。

2004年9月
 
 
 
 
[2004.08]
「8月号をお届けします」

この欄では3ヶ月(8−10月)のArtist Consultantsが共感しているArtistの活動予定を掲載しています。
今月からピアニスト・揚原祥子、フルート奏者・木藤久瑛の情報もお伝えしていきます。いずれもピアニスト上田敏のハンガリー留学時代の同窓生です。もちろん演奏もArtist Consultantsが自信をもって紹介できる方々です。

 8月更新の準備中にスペインの舞踏家アントニオ・ガデスの訃報が届きました。面識があるわけではありませんが、「カルメン」を観たのは大学生のとき。その身のこなしの美しさは今もまぶたに焼き付いています。青春の思い出の人をまたひとり亡くしました。
  1996年の同じ7月、経済史の大塚久雄先生が亡くなられたとき、私は勤務先を休んで母校の教会の隅に座りました。丸山眞男氏の病床からのメッセージが読み上げられ、献花のときマタイが流れていたのを今も覚えています。1000人近い怱怱たる顔ぶれの方々が集まっていたにも関らず、権威というものを微塵も感じさせない葬儀でした。 そうしてあの日も今年の夏のように本当に暑い日でした。その学問的な洞察の深さ、地に足のついた信念と理想、そうして「愚直なまでに」社会的な地位や権威、年齢や性別に囚われない生き方。私が最も尊敬する人の一人です。
 チューリップバブルを思い起こさせるような日本のバブルが弾けて15年、漸く光がみえようとしている日本を先生はどのように見ているのでしょう。丸山眞男氏との対談がもし聞けるなら聞いてみたいものです。

2004年8月
 
   
 
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